第19話

それでも、俺は何とか堪えて教室に居続け、やがて入学式の時を迎えた。


 どこにいるのかは分からないが、きっと卒園式と同じように父さんはビデオカメラを構え、母さんはあの赤いスカーフを首に巻いて見守ってくれている。俺には分からなくても、俺の表情の機微の一瞬一瞬を見届けようとしてくれている。


 そんな両親の「努力」が嬉しかったから、俺は隣の席に座っていた見知らぬちびのっぺらぼうの手を繋いで列に並び、体育館へと入場した。体育館の中には保護者や来賓、教師達といった立場ののっぺらぼうどもがこれでもかと言わんばかりにたくさんいた。


「あっ…」


 怖かったし、気持ち悪かったし、体育館から即座に逃げ出したかった。


 ここのどこかに両親がいるはずだと必死になって自分に言い聞かせてなかったらと思うと、今でもゾッとするってもんだ。そんな中、指定されたパイプ椅子に座る事ができたあの日の俺は、我ながら大したもんだと思う。


 だが、いざ入学式が始まってしばらくした頃、校長や来賓達のつまらない長話に飽きてきたちびのっぺらぼう達がパイプ椅子の上でそわそわと動き回ったり、何やらぼそぼそと小さな声でおしゃべりを始め、それらがたまらなく気になりだした。


「おはなしつまんないねぇ~」

「ぼく、おんなのせんせいがよかったなぁ」

「ねえ、おしっこ~!おしっこいきたい~!」


 今思えば、ついこの間まで保育園児だったんだから、堅苦しくて小難しい長話にいつまでも集中できるはずがないのは分かる。だが、この頃の俺は、まだうまくのっぺらぼう達のそんな様子をうまくスルーする事ができなくて、いちいち全部受け止めてしまっていた。


 そういう悪癖が気持ち悪さに拍車をかけると分かったのは、もう少し大きくなってからの事だ。しかし、まだその対処がうまくできなかった俺の頭の中の不具合は、ちびのっぺらぼう達の様子をぐるぐると飲みこんでいき、そう何秒も経たないうちに俺はその場で吐いてしまった。


「きゃっ。やだ、きたない」


 俺と手を繋いで一緒に体育館に入り、隣のパイプ椅子に座っていたちびのっぺらぼうのとても正直な言葉が耳に入る。それすらも負担になって、ますます気持ち悪くなった時だった。


「あっ、はいちゃったの? ねえ、だいじょうぶ?」


 少し後ろの列からそんな優しい言葉が聞こえてきたかと思ったら、パタパタと小刻みに駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。


 俺が吐いた事に気付いた来賓が壇上で言葉を途切れさせておろおろと身体を揺らし、他ののっぺらぼうもすぐに動けずにいたが、その小さな足音の主だけが俺のすぐ側までやってきて、足元が汚れている事も嫌がらずに俺の背中を不器用に撫で始めた。


「だいじょうぶだからね?ぼくがいっしょに、せんせいのところにいってあげる!」


 また聞こえてきた、大丈夫という言葉。


 チョークが言った時は全く信用できなかったのに、この別の保育園から入学してきたそいつ――圭太の口から出たそれをすぐに信用できた事が、小学校の入学式での一番の思い出だ。

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