第13話

卒園を数日後に控えたある日の夜、父さんがハンディタイプのビデオカメラを手土産に帰ってきた。


「卒園式の日、これで俊一をたくさん撮ってやるからな?」


 普通なら、とても声を弾ませて言わなくてはならない言葉のはずなのに、この時の父さんは少し不安げな声色だった。


 田室先生の診断によると、俺の頭の中の不具合はかなりの重度らしく、俺は自分の顔すらものっぺらぼうに見えてしまう。


 鏡に映る顔は元より、写真や映像に映るものさえもそう見えてしまうので、俺は形に残ってしまうそれらに極力映りたがらない子供だった。


 それを変に思ったのだろう、同じ年長組のたかお君(同い年なのにやたらと大柄で、いつも坊主頭だった)に「何で?」と聞かれた事があり、今思い返してもすげえベタだが「魂が吸い取られるから怖い」と答えたものだ。


 当然、その事は両親も知っていた。だから、この時期の俺達家族には写真というものがあまり多くない。


 それでも、父さんが少ないこづかいから敢えてビデオカメラを買ってきたという事は、それなりの理由があるはずだと俺も母さんもすぐに思い立った。だから、次に紡がれるであろう父さんの言葉を二人でじっと待った。


「俊一。この前の田室先生の言葉を覚えているか?」


 ビデオカメラを持ったまま、父さんが前屈みになって俺に問いかけてくる。俺はすぐにこくりと頷いた。


「僕の頭の不具合は一生ものだって、田室先生言ってたよね」

「そうだ。残念だけど、先生もお父さんもお母さんも、完全には治してやれない」


 だけどな、と父さんは一度鼻を啜った。よく目を凝らしてみれば、鼻のあたりから何かが垂れていた。今思えば、必死に泣くのを堪えていたのだろうが、きっと鼻水は垂れ流したままだったのだろう。


「俊一が自分の顔を覚えられなくても、お父さんとお母さんは覚えておきたいし、こうやってビデオに撮って皆に自慢してやりたいんだ。うちの子は、こんなにいい表情でいろんな事をしてるんですよって。すごいだろって…」

「……」

「俊一、お前は本当に偉い。ちゃんと田室先生の話を聞いて、自分なりの努力をし始めた。お父さんとお母さんの自慢の子だ。だから、これからそれをビデオや写真を撮ってもいいか?」


 いつ思い返しても鮮明に蘇ってくるこの時の父さんの言葉が、本当に照れ臭くててしょうがなくなる。


 もしタイムスリップしてあの時に戻り、あの小さかった俺と話をする事ができたなら、真っ先にこう言ってやりたい。「後でものすごく恥ずかしくなるから、とりあえず父さんの鼻を思いきりつまみ上げてやれ」ってな。

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