第9話

その次の日から、父さんと母さんはやたらと分厚い本を大量に買い込んで熱心に読むようになった。


 今思い出せば、きっとあれは俺の頭の中の不具合をより詳細に記した医学書か何かだったのだろう。


 そして、ある大学病院に行く事になった前の日の晩、父さんがやたら嬉しそうな弾んだ声を発しながら帰ってきた。


「ただいま~!二人におみやげがあるぞ~!」


 おみやげという単語に、俺の足は反射的に動いた。きっと大好物のポテトチップスを買ってきてくれたんだと思って母さんと一緒に玄関先まで出迎えてみれば、父さんはラッピングされた二つの小さな箱を持っていた。


「…お父さん?おみやげは?」


 ポテトチップスじゃない事を不思議に思った俺がそう尋ねれば、父さんは「これだよ」と手にしていた二つの箱を差し出した。


「何これ?」

「俊一が、お父さんとお母さんをすぐに見つけられるようになる魔法の箱だよ」


 そう言って、父さんはいきなりその場で箱を開け始めた。


 ビリビリとあまりよろしくない手つきで包装紙を破って箱から取り出してきた一つは、やたらとかわいらしいデザインをした花の形のネクタイピン。もう一つは、かなり派手で真っ赤なスカーフだった。


「あなた、これって…?」


 母さんも実に不思議そうな声を発していたが、父さんの次の言葉に納得がいったのか、深くて長い感嘆の息を吐き出した。


「病院の検査次第だから今は何とも言えないが、この子に俺達の顔がのっぺらぼうに見えるのなら、今日からこれを目印にしてもらおう。俺はこれから一生、どんな時でもこのネクタイピンを付け続けるし、お前はこのスカーフをずっと首に巻いていてくれ。そうすれば、少なくともこの子は俺達を見つけてくれる。不安な思いをさせないですむんだ」


 幸いな事に、俺は自然物の形や色まで分からないという事はなく、「花」がどういうものなのか、「真っ赤」がどういう色なのかは知っていた。


 だから、父さんの提案はものすごくありがたかったし、さっそくネクタイピンを付けてくれた父さんをすぐに判別する事ができた。


「お父さん!お母さん!」


 のっぺらぼうなのはまるで変わらないけれど、この花のネクタイピンを付けているのが、俺の父さん。そして、「こんな派手なの、他に持ってる人なんかいないわよね」と言いながら真っ赤なスカーフを首に巻いてくれたのが、俺の母さんなんだ。


 俺は嬉しくて、とてもありがたくて、二人に抱きついた。翌日に控えた大学病院での検査の不安なんか、あっという間に吹き飛んでしまった。

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