第56話

「我らの契約に殉じた娘の身体を使い、四人の男の生き血を啜り、肉を食らい、覚醒する時です! さあ、今こそ最後の一人を!」


 床に突っ伏した正也は、「くそっ……」と小さく呟いた。


 逃げようにも、全身が痛みに支配されて指一本動かせない。このまま何もできずに、蛇と化してしまった妹に食われるのか……。そう思った時だった。


「グ……ギャ……あ、あぁ……ああっ!」


 ふいに、正也の耳に届いた涼やかなソプラノの声。


 何とか視線だけを動かして床から上を見上げてみれば、そこにいたのはやはり蛇の姿になった綾奈で。しかし、その目は先ほどとは違い、人間のものとなっていた。


「その、背中の……傷、はっ……」


 途切れ途切れに、苦しそうに言ってくるその言葉に、正也は優斗から借りていた上着の背中部分がぱっくりと割れてしまっている事にようやく気付く。そして、そこから彼の背中の傷がしっかりと覗いていた。


『正也さんは、おばさんが命がけで産んだ子供です。それって、正也さんも命がけでこの世に生まれてきてくれたって事だし、二人が頑張って生きようとした証じゃないですか』


 正也の脳裏に、教会でそう話した綾奈の言葉が鮮明に蘇る。


 おそらくそれは、彼の目の前にいる蛇も同じだったのだろう。苦しそうに頭を何度も振り、「いや、いやぁ……!」と言葉を繰り返した。


「あれは、正也さん……。正也さんなの。私の大事な……食べちゃいけない!」

「あ、綾奈……?」

「ああ、でも! でも覚えてる! 私は食べた、おばさんを食べた! おじさんを食べた! 田崎さんを食べた! 知らないおじいさんまで! 皆、おいしかったぁ……!!」

「綾奈っ……!」

「いや、違う……。思い出した、全部思い出した! おばさんじゃない、おじさんでもないっ! お父さん、お母さん! いやあっ!」


 蛇の姿のままの綾奈は、その身をバタンと床に落とし、ゴロゴロと転げ回った。


 錯乱した彼女の尻尾は陸にあげられた魚のように暴れ回り、近くにあった祭壇を一瞬で叩き壊す。黒いフルレングスローブの集団は、彼女の狂ったようなその様に恐れおののいた。

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