第47話

「さあ、契約です。あなたの血でサインを」

「はい!」


 言われるがままに、静枝は右手の親指の先を自分の歯で傷付ける。そして、じゅくりと滲み出てきた血でなぞるようにして契約書に己の名前を書き始めた。


 江嶋の全身に言いようのない悪寒が走った。これは、どう見てもカウンセリングなどではない。それ以前の問題だ。この世にあるべきものではないと直感で悟った。


「静枝さん、ダメだ!」


 円状の模様――魔法陣の中心でサインを綴る静枝を止めようと、江嶋はその場から駆け出そうとした。だが、すでにサインは書き終えており、その瞬間に彼女が望んでいた通りの奇跡が起こった。


 ふぇ……、ぎゃあああん! おぎゃああ!


 信じられなかった。手足も何もなく、事切れた肉の塊でしかなかったものから赤ん坊の泣き声が響き渡る。


 それにはっと大きく両目を見開いてから、静枝が慌てて腕の中の白い布を取り払うと、そこには五体満足で泣き声をあげるかわいい女の赤ちゃんがいた。


「あぁ、ああ……。綾奈ぁ!」


 両目からぼろぼろと大粒の涙をいくつもこぼしながら、静枝は娘を抱きしめ、その場にへたりこんだ。


「そんな、バカなっ……!」


 江嶋は確かに自分の目で見て、自分の耳で聞いた。


 静枝がサインをしたその瞬間、白い布の中で塊だったものが不自然かつ不気味な動きで盛り上がり、蠢いていくのを。ベキベキィ、グチャア……などと、通常の神経ではとても聞くに堪えないような音を立てて、みるみるうちに形を変えていったのを。


 とてもじゃないが、その現実を受け入れる事などできなかった。全身の力が一気に抜けて江嶋が腰から崩れ落ちてしまう中、フルレングスローブの者は完成された契約書を手に、満足げな笑みを口元に浮かばせた。


「これで契約は完了しました。それでは十六年後に、お伺い致しますよ」

「ああ、神様! ありがとうございます!!」


 静枝は、フルレングスローブの者の言葉など全く聞いていなかった。


 ただひたすら、永遠に失うはずだった愛しい者を抱きしめ、頬ずりする事のみに夢中になっていた。

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