第43話



 いまだに自分の両腕の中で恐怖に怯えている綾奈を見つめながら、智彦は自分達の罪の大きさを改めて自覚し、後悔していた。


 あの日、何が何でも静枝を止めるべきだった。例えどんなに恨まれても、どんなに蔑まれても、この子の命を弄ぶような真似をさせるべきではなかったのだ……!


「おじさん」


 小さく震えている声に、智彦は慌てて顔を下に下げる。そこには、ずっと両目を涙で潤ませたままの綾奈がいた。


「どうしてですか……?」

「何が?」

「どうしておじさんもおばさんも、それに江嶋さんや正也さんまで、私を守ってくれるんですか? 私さえ、私さえいなければ……」


 智彦は、息が詰まるような思いだった。


 本当の事を話したい。二人の母親がどうして生命の理に背いたのかを。そして、それだけ二人を愛しく思っていたのだという事を。


 だが、意外にもそれに割り込んで答えたのは、簡単な夜食を運んできた優斗だった。


「そんなの簡単だって、綾奈ちゃん」

「え……?」

「皆、綾奈ちゃんが好きだからだよ」

「え、でも……だったら田崎さんは」

「それも簡単。親友が大事に思ってる子だから。これ以上の理由っているの?」


 自室の真ん中にあるサイドテーブルに三人分の夜食の乗った盆を置き、優斗が笑う。綾奈は大きく息を飲んだ。


 物心ついた時から、親戚のおばさんだという静枝と二人きりであり、各地を転々と回った。同じ土地に何ヵ月も続けて生活するという事は全くなく、いつも何かから逃げ回るかのように引っ越しを繰り返した。


 そんな生活だから、綾奈は保育園や学校にも行った事はなく、日常生活における習慣や作法、読み書きや簡単な計算などは全て静枝から教わった。それを不審に思わなかったと言えば嘘になるが、事あるごとに静枝からこの言葉を聞かされれば不思議と納得できた。


『ごめんね、綾奈。奴らから逃げなければいけないの。あなたの十六歳の誕生日が終わったら、普通に暮らせるからね』


 静枝は、いつも何かに……いや、何者かに怯えていた。それは誰なのかと何度尋ねても、彼女は「奴ら」としか呼ばず、「必ずあなたを守ってみせるから」としか答えなかった。


 そして、あの日ついに……。


「私なんか、大事に思われる資格ないっ……」


 智彦の身体を緩く突き飛ばすと、綾奈は自分の身体を抱えるように両腕を交差させた。


「私、何もできなかった……! おばさんが目の前であんな死に方したっていうのに、助けるどころか動く事もできなくて……!」

「綾奈。静枝が死んだのは、綾奈のせいじゃ」

「私のせい、私のせい、私のせい……。私なんか、ここから消えてなくなればいい!」

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