第42話

「こんにちは、江嶋さん。実は明日、ひと足先に妻が退院する事になりまして」

「おお、それはよかったですね」


 あまり抑揚のない口調でそう返した江嶋の目は、ベビーベッドの中にいる正也を見やる。それに気付いた智彦が、さらに言った。


「正也も一緒です。背中の傷の状態にもよるんですが、これからしばらく、妻の実家がある田舎に身を寄せようかと……」

「えっ? 何それ、どういう事? あなた、私は何も聞いてないわよ!?」


 淡々と告げようとした智彦の言葉を途中で止めて、静枝が怪訝そうに尋ねる。それに対して智彦は「言葉通りだよ」と告げた。


「お前は疲れている。静かな所で一度休もう。その子の弔いもしなければならないし」

「やめて! あなたまで綾奈を死人扱いしないで!!」

「……静枝?」

「綾奈は生きている! 正也と一緒で、ちゃんと生きているのよ!」


 大きく両目を見開いて喚き始めた妻の姿に、智彦の頭は混乱し始めた。


 何を言っているんだ、静枝は。その腕に抱いているのは確かに俺達の娘だが、もう生きては……。


 あまりにも大きい悲しみや怒りの為に、正常な判断力まで失っているのか。ならば、なおさら養生させないと。


 そう思いながら、智彦は妻の身体を抱きしめようとしたが、それを邪魔する者がいた。


「待って下さい、紫藤さん。今の静枝さんに、あなたの提案はかえって逆効果です」


 江嶋の野太い腕にがしりと右肩を掴まれ、智彦は身動きが取れない。それと同時に、彼から得体のしれない不気味さを感じていた。


 何だ、これは。ただ肩を掴まれているだけなのに、そこから伝わってくるこのおぞましい気配は何なのだ。


 まるで、江嶋の身体を通して、何者かがこちらをじいっと覗くように見つめているみたいで……。


「静枝さん」


 掴んだ智彦の肩をそのままに、江嶋は静枝に向かって優しい笑みを浮かべた。


「大丈夫ですよ。あなたの願いは叶います。私がうってつけの人達を紹介しましょう」


 江嶋のその言葉を聞いた静枝は、まるで子供のようにコクコクと頷いた。

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