第34話

「彼らは私が抑えますから!」

「江嶋さん!?」


 物心ついた頃から知っている、教会の優しい神父様。いつも穏やかに微笑む姿しか知らなかった正也にとって、険しい表情でシャベルを振り上げ、集団を威嚇しようとしている江嶋のその姿はとても異様に見えた。


「江嶋さん、でもっ……!」

「逃げるんです、正也君! 明日まで……明日が終わるその瞬間まで!!」


 まただ、また「明日」という単語が出た。正也は瞬時に槙村の言葉を思い出した。


『くれぐれも周囲に気をつける事だ、少なくとも明日が終わるまでは。でなければ、君も母親と同じ目に遭うかもしれない』


(いったい何だっていうんだ!)


 正也はもどかしかった。


 あの男といい、江嶋といい、どうしてそんなにも明日にこだわるのか。明日――自分の十六歳の誕生日に、いったい何があるというんだ。


 訳が分からず、混乱しそうになった正也の肩を、智彦が強い力で掴んできた。


「行くぞ、正也!」

「父さん!?」

「ここは逃げるんだ、綾奈を守る為に! 母さんや江嶋さんの思いをムダにするな!!」


 敬称を忘れるほどの焦燥を感じさせる父親の言葉に、正也は「まさか……」と呟きながら、集団に怯え続けている綾奈を肩越しに振り返った。


 もし、槙村の言っていた事全てが真実なのだとしたら……。


 あいつは……。俺の母親は、この子を守って、こいつらに……殺された?





「渡せ……」




 ふいに、集団のフルレングスローブの袖が一斉に揺れ、各々の手が不気味に差し出される。その全ての手の先は、正也の背中に隠れ続けている綾奈を求めていた。




「渡せ、渡せ。その子を渡せ」


「契約の時が来た。かつての盟約通り、その子を渡せ。我らが王の為に」




 何重にも渡って同じ言葉を言い連ねてくる彼らの様子が、何とおぞましい事か。とてつもない執念と異常性が空気を伝ってビリビリと感じられ、正也の肩が震えた。


「うああああっ!」


 そのおぞましい雰囲気を一蹴せんとして、江嶋が咆哮をあげる。そして、シャベルを振り回しながら集団の元へと突っ込んだ。


「行って下さい、早く!」


 シャベルの先端で何人かを突いたり叩き伏せたりしながら、江嶋は叫んだ。



「さあ早く! できるだけ遠くに! どうか綾奈さんをお願いします!!」


 江嶋の必死な願いに智彦はしっかりと頷くと、「行くぞ正也、綾奈!」と言いながら、集団の中にわずかにできた隙間を縫うように走りだした。


 江嶋を置いていく事に罪悪感はあるものの、正也は綾奈の手を引いてその後を追う。途中で何度も彼らの手に掴まれそうになるが、何とかそれをなぎ払って、三人は教会の敷地の外へと逃れた。


「……いや、いやあっ! 江嶋さぁんっ!」


 首を何度も横に振る綾奈の悲痛な声が響く。


 反射的に振り返ってしまった正也の目に映ったのは、多勢に無勢の為、集団にぞろぞろと取り囲まれ、やがてゆっくりと埋もれていった江嶋の野太い両腕だけだった。


「くっ……正也!」


 智彦の声にはっと我に返った正也は、再び綾奈の手を引いて薄暗い道の中を走り出す。


「ごめんなさい、ごめんなさいぃっ……!」

「謝るな、聞き飽きたって言ってるだろ!」


 彼女の手を力強く握って、正也は叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る