第27話

「昨日のお風呂場での事です。正也さんの背中の傷……見たとたんに驚いてしまって、本当にごめんなさい」


 拍子抜けした……というより、呆れに近い感情が出てきたせいだろうか。自分の中ではとっくに流して、しかも忘れかけていた事なのにと、正也の口から勝手にため息が漏れた。


「何だよ、その事か。それだったら、もういいよ。言っただろ、大した理由でついた傷じゃないって」

「そんな訳ないじゃないですか」


 一方、綾奈は珍しく強気で言い返してきた。小さな全身で正也を見上げ、ほんの少しだけムッと頬を膨らませている。ハムスターみてえ、と正也はつい思ってしまった。


「何でそう思う?」


 そんなまぬけな事を考えていただなんて悟られたくなくて、冷静を装いながら正也は問う。すると、綾奈は「正也さんは、おばさんが命がけで産んだ子供です」とさらに力強く言った。


「詳しい事は教えてもらえませんでしたが、正也さんの背中の傷はその時のものだって、おばさんが言っていました。それって、正也さんも命がけでこの世に生まれてきてくれたって事だし、二人が頑張って生きようとした証じゃないですか。それを私は」

「そんな事まで……」

「え?」

「あいつ、そんな事まであんたに?」


 智彦に一度聞いていたから、自分の背中の傷跡の経緯についてもはや驚く事などない正也であったが、それを昨日出会ったばかりのこの少女が知っていたという事にはさすがに困惑した。しかも、自分の母親が話して聞かせたというなら、なおさらだ。


 いくら親戚だからって、普通そんな事まで話すものか? そんな話を聞かせて、こいつに何のメリットがある?


 そこまで考えた時、正也は先ほどの槙村の言葉を思い出した。


『君の母親は、もうこの世にいない』


 あの粘着質な声色と瞳を思い出して、首筋のあたりにぞわりと寒気が走る。だが、得体のしれない年寄りの言う事より、何故か綾奈の言葉の方が信じられるような気がした。


 この子の方が、自分よりもずっと長くあいつと一緒にいたんだからと、正也は思いきって尋ねた。


「あんたさ、あいつから槙村って名前を聞いた事あるか?」

「槙村さん、ですか? いいえ、ありません」


 綾奈は即座に首を横に振る。嘘をついていないと判断した正也は、すぐに次の質問へと移った。

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