第20話



「何なんだよ、全く……」


 高校の教室にたどり着くや否や、正也は自分の机の上に突っ伏して、重苦しいため息を吐き出した。


 結局あの後、正也は智彦に叱られた。


 いや、実際はたしなめられたと言った方が近いのだろうが、まるで小さな子供相手に話すようなあの口調が気に入らず、せっかく謝ろうと思っていた気持ちが穴の開いた風船のようにしぼんでしまった。


『正也。お前には気に入らない事ばかりだろうけど、綾奈ちゃんを責めてやるな。あの子は何も悪くないんだ。だから、頼むよ』


 たった一人の家族である父親にそんなふうに言われて、その場ですぐ断れるような達者な術を正也は持ち合わせていない。悔しまぎれに「分かったよ」と吐き捨てる事しかできなかったし、それ以降は家を出るまで二人の顔をまともに見る事ができなかった。


 おまけにそんな正也が家を出る際、智彦が『今日は仕事を休むから』と言い出したのは、正直たまらなかった。


『綾奈ちゃんを一人にする訳にはいかなくてな。夕方、教会で落ち合って、そのままどこかへ食事しに行こう』


 明日は俺の誕生日だってのに、とずいぶん子供じみた事を考えてしまう。どうやら今年は最悪の誕生日になりそうだ、とも。


 憂鬱な気分と一緒に、もう一度深いため息を吐き出していると、そんな正也の席へ足早に近付いてくる誰かの気配があった。


「よっ、正也! かわいい女子との同棲生活一日目はどうだった? 何かおもしろいハプニングとかなかったか?」


 またため息が出そうになるのを何とか堪え、正也はゆっくりと頭を上げる。そこにはニヤニヤと笑っている優斗がいて、実に愉快そうな口調で正也の顔を覗きこんでいた。


「……俺、かわいい子だったなんてLINEに書いた覚えはないぞ」

「え~? 本当か?」

「お前のご期待に添えなくて残念だ」

「おっとぉ、めずらしくご機嫌斜めだな」

「斜めどころか、だだ下がりだよ。もうすぐムカつきを通り越して、バカバカしさがやってきそうだ」

「何で?」


 優斗の問いに答えるには、今の自分の気持ちに値する言葉を見つけなければならない。だが、何故かうまく出てこずに、正也はそのまま口元を引き結んでしまう。


 そんな正也の様子に気が付いた優斗は、「くくくぅ~…」と笑いながら、彼の広い肩に手を置いた。


「確かその子って、おばさんの親戚の子なんだよな?」


 この質問は簡単だったので、正也はこくんと小さく頷く。するとそれですっかり合点がいったのか、優斗の方もうんうんと大きく、しかも何度も頷いた。


「何だよ、お前って奴は」


 さもおかしそうに優斗が言ってくるので、正也は不思議そうに彼の顔を見つめた。


「何がおかしいんだよ、優斗」

「安心したんだよ。正也がファザコンだけでなく、マザコンだって事も分かって」

「はぁ!? 何だよそれ!?」

「見た目も頭も性格もよくて、スポーツだって万能。そんなお前でも、こんなに普通っぽいところがあったんだなあって」

「分かるように言え」


 いきなり訳の分からない事を言われ出して、正也は若干混乱気味だ。今度の試験に出てくる数学の問題より難しい優斗からの言葉に、分からない事への苛立ちと答えを知りたい焦りがないまぜになる。


 それを見越したタイミングで、優斗がこう言って話を切り上げた。


「正也はその子がうらやましいんだよ。おふくろさんをずっと一人占めしてきた、その子がさ。お前、本当に家族が大好きなんだな」

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