第15話

「男なんだから、胸を見られたところでどうって事ないよ。あんたも俺の全身素っ裸を見た訳じゃないし、そこまで慌てなくても」

「だ、だって……」

「だって、何?」

「私、男の人の裸を見るの初めてだから……」

「……は?」


 今日一日で、どれだけこの短い言葉を言った事だろう。中途半端に腕だけ通したTシャツをそのままに、正也は綾奈を振り返る。彼女はまだ後ろを向いていた。


「嘘つけよ」


 正也が言った。


「ドラマとか映画とか、後はネットとか雑誌……、それこそ学校のプールや海なんかでいくらでも見る機会あるだろ」

「ないものはないです」


 綾奈が首をぶんぶんと横に振った。


「私、物心ついた頃から、ずっとおばさんと二人だけで暮らしてきたんです。あちこちいろんな所へ引っ越し続けてきたから、学校なんてほとんど行ってないですし、テレビや映画も見た事ありません」

「そんな訳あるか」

「本当です、これには事情があって……」


 心底信じられないといった気持ちを隠す事なく言葉にして吐き出す正也。そんな彼の言動に耐えきれなくなったのか、それまでずっと後ろを向いていた綾奈が突然振り返ってきた。


 そんな綾奈の視界の中心に飛び込んできたのは、正也の背中だった。話を聞くのがバカバカしくなってきた彼が、Tシャツをちゃんと着ようとして体勢を変えたのと、綾奈が振り返ったタイミングがほぼ同じであり、彼女の瞳にあの肩甲骨から腰のあたりにかけて、一直線に走っている大きな傷跡が映った。


「あ……!」


 正也の上半身裸を見るよりよほど刺激が強かったのか、綾奈は言葉を失って右手を口元に寄せる。その緊張が走った彼女の表情を見て、正也はまたため息をついた。


「別に、それほど深刻な理由でついてるもんじゃないから」


 淡々とそう告げながら、正也はTシャツを着る。洗い立ての薄い生地によって完全に傷跡が見えなくなると、綾奈はゆるゆるとその緊張を小さくしていった。


「あ、いえ。ごめんなさい、必要以上に驚いちゃって……」

「あんたのそれは、もう聞き飽きたよ」

「え……?」

「それ以外に言葉知らない訳じゃないだろ」


 身支度を整えた正也は、「どうぞ」と言いながら綾奈の横をすり抜け、洗面所から出る。


 この時、正也の顔は、何とも言えない表情を滲ませていた。単純に怒っているように見えたが、何かを懸命に堪えようと我慢しているふうにも見えるし、今にも大きな声で泣き出してしまいそうにも見えた。


 その理由を知らない綾奈は、ただただ戸惑いを隠しきれない様子で、Tシャツに隠れた正也の見えない背中を見送った。

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