第8話
木製の大きな扉のすぐ向こうに広がる礼拝堂は、小ぢんまりとはしているものの奥行きがあり、窓のステンドグラスから差す夕暮れの光が質素な木面の床全てを幻想的に照らしていた。
神を模した有名な絵画のレプリカの一つもない礼拝堂だが、その温かな光だけで充分に心が洗われる思いがするし、何よりひどく落ち着く。それにほっとした正也が扉の側で大きく深呼吸していると、ふいに正面から声をかけてくる者が現れた。
「やあ、正也君」
「あっ、江嶋(えじま)さん。こんにちは」
伏せがちだった両目を上に持ち上げるようにして、正也が正面を見据えてみれば、すぐ目の前に清潔な神父服を身に着けた恰幅のいい男が穏やかな笑みをたたえながら立っていた。
彼の名は、江嶋拓朗(えじまたくろう)といった。
年の頃は、智彦より年上なのは間違いない。五十そこそこに見える江嶋には、年相応に少し白髪が目立つものの、その穏やかな表情と恰幅の良さでずいぶんと若い印象がある。しゃんと伸びた背筋も、へそのあたりでそっと組まれている野太い両腕も、年齢を感じさせる部分はどこにも見当たらなかった。
そんな江嶋に優しい笑みを返しながら、正也が言った。
「江嶋さん、父は……?」
何故か江嶋は、教会にやってくる人々から「神父様」と呼ばれる事を極端に嫌った。
「自分は未熟な身の上ですから……」
そう穏やかに答えつつ、どうか名前で呼んでほしいと頼み込む。例に漏れず、正也も彼を「江嶋さん」と名前で呼んでいた。
それに対して、江嶋はフフッと小さく笑い声を漏らしてから、ふいっと肩越しに後ろを振り返った。
「お父さんなら、まだ懺悔室の中だよ。今日の分のお話はもう全部窺ったんだけど、あと少しだけ祈らせてほしいとおっしゃるものだから先に席を外させてもらったんだ。でも、正也君も来た事だし、声をかけてやってくれないかな?」
「はい」
江嶋の視線の先に、その懺悔室はあった。
礼拝堂の奥まった一角にいくつか存在しているが、一つ一つがさほど大きい造りのものではない。
町の片隅でたまに見かける電話ボックスをさらに二回りほど大きくしたくらいの小部屋であり、そこへと繋がる扉を開ければ、中央に粗末な椅子と小さな間仕切りカーテンが設置されているだけの空間が広がる。
その狭さとプライバシー保護という観点から、入室できるのは懺悔を聞く立場の神父を含めて二人までだ。
今、江嶋は懺悔室から出てきた旨の言葉を言っていたし、礼拝堂には他の信者の姿も見当たらない。今日の懺悔終了を告げる鐘も鳴っている。
ならば、ここに残っているのは父親だけだという自然な考えに至った正也は、江嶋に会釈すると、扉が閉まったままになっている懺悔室のうちの一つへと早足で向かった。
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