第6話
背中の傷跡は、正也が物心ついた頃にはもうあった。
だが、それを当の本人はあまり気にした事がない。痛みや引きつりなどがない上、背中にあるものだから鏡を使わないと自分の目では確認できないし、そもそも服を着てしまえば他人からも見えやしない。
まあ、着替えをしている時、プールや公共のスパに入っている時などは否が応でも誰かの視界に映ってしまうが、ただ一直線に走っているだけの傷跡はひどい見た目でもないので、やはり気にしない事にしていた。
その傷跡がついた経緯に関しても、今では全くと言っていいほど気にしなくなった。
幼い頃に一度だけ父親に聞いた事があったものの、「お前が生まれてくる時にちょっとしたアクシデントがあってな、仕方なくメスを入れたんだ」と言われて、「何だ、そうだったのか」とあっさり納得したものだ。
敬虔(けいけん)なクリスチャンであると同時に、真面目で穏やかかつ品行方正。おまけに男手一つで自分を懸命に育ててくれた父親を、正也は心から尊敬し、感謝していた。ゆえに小学生の頃から勉強もスポーツも人並み以上に努力し、誰もが感嘆する結果を常に残してきた。
いつか、目に見える形で父さんに恩返しをしたい。
それが、正也の今現在における目標であったし、同時にそんな父親を捨て、幼かった自分までも置いて家を出ていった母親の思考が理解できなかった。
放課後、帰路の途中にある駅前で優斗と別れた正也は、そのまま北沿いに向かってまっすぐ進んでいった。
駅前と言っても、さほど大きな町並みが見渡せる訳ではない。ごくごく小規模ではあるものの、非常に暮らしやすいベッドタウンとして知られる地域であり、昔から多くの居住者を有している。
そうなると、午後六時を回った帰宅時の道のりの中、すれ違う人々のうち、何人かの顔見知りと会う事も多い。実際、駅前から少し歩いた先に見える小ぢんまりとした総菜屋は二代続く老舗であり、そこを通りかかった正也に店主である壮年の男がカウンター越しに少し身を乗り出して声をかけてきた。
「よう、紫藤さんとこのぼっちゃん! 今から教会か?」
「こんばんは。ええ、父を迎えに。今日は早めに行ったみたいなんで」
子供の頃から知っている店主に向かって、正也はニコッと満面の笑みを返しながら答える。それを見た店主も、タバコのヤニで真っ黄色に汚れた前歯を隠す事なく、つられてニカッと笑った。
「今度また買いに来ますね」
それを別れの挨拶にして、正也は総菜屋の前から再び歩き出す。目指す教会はまだ数百メートルほど先だが、幼い頃からずっと通い続けている道のりだ。試した事はまだないが、ここから先はもう目をつぶっていても難なく進む事ができるに違いない。
夏に入ったばかりのこの時期は、午後六時に差しかかろうとしてもまだ日が高く、周囲の様子がはっきりと窺える。
先ほどの総菜屋のカウンターの向こうでは、店主の奥さんができたての匂いが香ばしいさつま揚げをトレイの上へとていねいに並べていたし、チリンチリンと小気味よいベルの音を鳴らして正也の横をすり抜ける自転車の主は、総菜屋の二軒隣にあるクリーニング屋の配達員だ。
買い物帰りなのか、主婦と思われる何人かの女性達が大きめのビニール袋を片手に歩いている。今日はどんな夕食になるのかと想像しながら、各々の家へと急ぎ帰る子供達の笑い声も微笑ましい。
正也はずっと代わり映えのしないこの町並みの風景が、子供の頃から気に入っていた。
これからもずっと、こんな穏やかな毎日なんだろうなと、不平や不満など少しも混じっていない気持ちでそう思いながら教会への道を進んだ。
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