第60話

大学への進学希望という彼の意志を、周囲の友達、挙げ句は両親までもが懸念の色を浮かべた。ある一人のクラスメイトなど、本気で心配してか軽い気持ちの冗談だったかは分からないが、予備校の案内パンフレットを差し入れに持ってきたくらいだった。


 そのような中、たった一人だけ、菊池の味方になってくれた者がいた。


「…おい菊池、入学式は明日だろ。あんまりバカ面して叫びまくってると警備員が飛んでくるぞ!」


 突然、スパーンという小気味いい音が聞こえてしまいそうなほど軽快な平手が菊池の頭を直撃して、それまでずっと響き渡っていた彼の大声がやっとの事で止まった。


 鈍く痛む後頭部を押さえながら菊池が反射的に振り返ると、そこには少し色黒な肌をした年上の男がいて、タバコのヤニで少し汚れた歯を見せながらニカッと笑っている。


 それを見た菊池は、つられてへらりとだらしなく顔を緩ませた。


「長谷部先輩、お久っす!」

「おう、一ヵ月ぶり。どうだ、俺のおかげで入れたこの三流大学を仰ぎ見た感想は」

「三流だろうが何だろうが、これから始まる念願のキャンパスライフに、高ぶる気持ちがそりゃあ抑えらんないっすよ!」

「そうだろそうだろ、マジで俺に感謝しろよ?」


 と、当たり前のように言い放つこの長谷部という男は、菊池の高校の二年先輩にあたる。


 高校時代、特に部活に入っていた訳ではない二人だったが、それゆえに文化祭の実行委員をクラス中から押し付けられるという全く同じ理由から知り合う事となった。


 見た目も性格もあまり似通っていないというのに、どうも馬が合ったというべきか、二人は文化祭が終わってからも付き合いを続けた。先輩と後輩という間柄だったが、その仲はまさに親友そのものであった。


 将来は警察関連の仕事に就きたいとはっきり口にしていた長谷部を、菊池は素直に「すげー!」と感心していた。もしかしたら、それが同じ地方公務員である教師になりたいと思ったきっかけだったのかもしれない。


 親の意向で高校卒業後、すぐに警察学校には入らずに大学へと進んだ長谷部との親交は、さらに濃密なものとなった。


 成績が一気に悪くなって落ち込んでいた時も、彼は時間の許す限り、菊池の受験対策に付き合ってくれた。他の誰もが「無理、あきらめろ」と言い出しかねない雰囲気の中、長谷部だけは最後までそういった類の言葉を口にすら出さなかったのだ。


 その結果、菊池は今こうして長谷部と一緒に大学の敷地内に並んで立っている。


「それはもちろん感謝しきりですって!」


 菊池がそう言うと、長谷部はますます大きく口を開いて笑った。


「そっかそっか!だったら、あの約束ももちろん覚えてるよな?」


 長谷部の太い腕が菊地の肩に回る。ああ、と短い声を発してから、菊池はこくりと頷いた。

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