第56話



「うっ…」


 今度は本当に読めなくなって、あたしは両手から大学ノートをばさりと足元に落としてしまった。


 別に、そこから先のほとんどのページが破り取られていたからとか、そんな物理的な理由じゃない。仮に続きのページがまだあったんだとしても、あたしはきっと読み進める事なんかできやしなかった。


 だって、こんなにも涙で視界がぼやけまくってたんだから…!


 妹尾。あんた、あたし達から空気扱いされてた事に、こんなにも苦しんでたんだね。顔にも態度にも言葉にも出してなかったけど、本当はつらくて苦しくてたまんなかったんだよね。きっと、叫びだしたいくらいだったんだよね…!


 あんたが菊池先生の子供だったってのはすごくびっくりしたけど、菊池先生との時間はきっととても楽しくて穏やかだったよね?ほんのちょっとの限られた時間の中で、一生懸命に普通の親子やってたんだ…。


 そして、そんな大事な時間の中で、どうしたらあたし達みたいなひどい奴らと友達になれるかなんて、必死に考えてくれてたんだよね。それで、あんたなりにいろんなものを背負って、あの日、図書室に来てたんだよね?


 それなのに…。


「それなのに、あたし…あたしは…!」

「大山さん?」


 足元に落とした妹尾のノートを見下ろすような感じであたしが泣き始めたのを見て、伊原さんが屈んであたしの顔を覗き込んできた。


「この続きに心当たりがあるんだね?」


 さっきの中村さんとは違って、確信に満ちた声色。あたしは正直に「…はい」と頷いた。


「この時、あたし…妹尾に『気持ち悪っ!』って言っちゃったんです。『あんたと友達だなんて気持ち悪い、絶対に嫌だ!』って。それが、妹尾とまともに会話した最後でした…」

「そうか…。じゃあ、やっぱり…」


 小さくそう言って、伊原さんがゆっくりと腰を上げる。それをすぐ側で見ていた中村さんは、どこか不安そうな表情をしていた。


「やっぱりって…ちょっと、あれは伊原さんの勝手な想像でしょ」

「いや、中村。今の大山さんの一言で想像じゃなくなった。この子もまた、あの女に狙われてたんだ」


 一切隠そうとしない二人のそんな会話に出てきた、『あの女』というフレーズ。この時、私の頭の中では、三崎君のお通夜の帰りに立ち寄った妹尾の死んだ場所が浮かんでいた。


 そして、そこで会った不気味な女の人の姿も一緒に。

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