第38話

「尊の事、覚えているのね…?」


 女は猫背のまま、何歩かあたしに近付いてきた。それと同時に、気味悪さも増したような気がした。


「あ、あの…」


 その気味悪さがたまらなくて、女が近付いてきた分だけ、あたしは後ずさった。すぐ腰のあたりにガードレールの固い感触がぶつかって、ぞくりとした冷たさまで伝わってきた。


「おばさんは、いったい…?」


 あれ?何かヤバい、声が震えてる上に裏返った?何で?あたし、もしかしてビビってる?このおばさんに?


 あたしが頭の中で自問自答を繰り広げているのを知ってたかどうかは分かんないけど、また数歩近付いてきた女はトーンを落とした低い声でこう言ってきた。


「初めまして、妹尾 尊の母です…」

「あ、はい…」

「あなた…、お名前は…?」


 また、ぎょろりとした目であたしの顔を覗き込むように見てくる猫背の女に、あたしはすっかり混乱していた。何で?何で、そんなふうにあたしの事を見てくんのよ!?


 女から伝わってくる何とも言えない気味悪さから少しでも逃げたくて、あたしはまぶたをぎゅうっと閉じてから、半分叫んでるような感じで答えた。


「…お、大山です!大山未知子です!!」

「オオヤマ…?オオヤマ、ミチコ…」


 パラ、パラ、パラ…。


 少しして、何か音が聞こえてきた。ものすごくゆっくりで、何だか紙をめくっているような物音が。


 何だろうと思って、そうっと目を開けてみたら、女が両手に抱えていたノートを開いて、そのページを一枚一枚ゆっくりとめくっていた。


「ああ、あったわ。大山未知子さんね…」


 女の、ページをめくる手が止まる。その一ページに目を落としたままで、女はブツブツと言った。


「このノートには、あなたの名前もたくさん書いてあったわ…。尊ったら、瀬田さんって女の子の次に、あなたの事もずいぶん気にしてたから…」

「え、瀬田って…」


 恭子の名字じゃない。あのノートって、もしかして妹尾の日記か何かなの?あたしと恭子の名前を書いてたって、どうして…?


 あたしがその疑問を口にするよりずっと早く、女の言葉がさらに続いた。


「さっき、あなたそこで謝ってたわよね。尊に、ごめんねって…」

「え、それは…そのっ!」

「実はね。一人目がうまくいったから、次はあなたにしようかなって思ってたのよ。でも、あなたは尊を思い出して、ちゃんとここで謝ってくれたわ。だから、特別にそれで許してあげる…」


 ノートをゆっくりと閉じて、女はまた口元だけを持ち上げて笑う。そして、そのままくるりと背中を向けて、冬の夜の闇の中へ溶け込むように立ち去って行った。


 あたしは、この時まだ何も知らなかった。


 この直後に、小西が死んだ事。そして、女が言っていた言葉の意味を。

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