第16話

「妹尾君は何を読んできたのかな?」


 先生がそう尋ねると、❝あいつ❞がゆっくりと口を開いて答えた。初めて聞く❝あいつ❞の声は、全く抑揚がなくて淡々としていた。


「『山月記』です」


 『山月記』?


 あの、変わり者の役人が何故か虎に変身しちゃって、そのいきさつを偶然会った親友に話していくって感じの奴?うわ、❝あいつ❞らしくて笑える。変わり者が選んだ小説が、変わり者が主人公の奴だなんて。


 あたしの口から、プププ…と小さな笑い声が漏れる。


 いや、あたしだけじゃなかった。クラスの大半が❝あいつ❞をそう思っているのは間違いないんだから、あたし以外の何人かの口からも笑い声が漏れるのは仕方ない事だった。よほどツボにはまったのか、逢坂の丸まった背中が震えているのが目の端にちらっと映った。


 だからこそ、思いもしなかった。❝あいつ❞があんな生意気な事を口にするなんて。


「…今、笑ってる何人かの人。君達みたいに思慮が浅い人には、きっと『山月記』の主人公の気持ちは永遠に分かんないんだろうね」


 …一瞬で、カチンときた。


 何、こいつ。何でちょっと笑っただけで、思慮が浅い=バカ呼ばわりされなきゃいけない訳?


 たかが小説じゃん。しかも、何十年も前の古くさい奴!何でそんなもんにいちいち感情移入して、主人公の気持ちなんて理解してやんなきゃいけないんだっての!知らないわよ、そんな訳の分かんないうちに虎になったおっさんの事なんて!!


 本当、マジでムカついた。初めて聞いた❝あいつ❞の言葉が、あたし達クラスメイトをバカにするものだったのが、よけいに癇に障った。


 それなのに、その事があまりにも印象強かったせいか、別に覚えたくもないのに❝あいつ❞の名前が脳内に強制インプットされたみたいで。


「…僕は、主人公の彼がうらやましいです。人間としての残り少ない時間を捧げ、本当の気持ちをさらけ出せる親友がたった一人でもいたのですから…」


 妹尾 尊、妹尾 尊、妹尾 尊…。


 相変わらず抑揚のない声で感想文を読み上げていく❝あいつ❞。それが気の合わない奴と覚えるまで、あたしの脳内は何度もその名前を繰り返していた。

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