第15話

次は後者だけど…あたしが❝あいつ❞の存在に気付いたのは、一学期に入って少し経ってからの事だった。


 その時まで、❝あいつ❞はいつも息をひそめるようにして教室の隅の方の席に座っていた。朝、登校してきて教室に入る時も、誰にも「おはよう」とか言わずに静かに席に向かい、放課後になって帰る時までほとんど誰ともしゃべらない。もちろん「バイバイ」もなしに帰っていた。


 だから、❝あいつ❞の名前なんて、あの時が来るまで知らなかったし、だいたい覚えようがなかった。


 あれは、現国の授業の時だった。


 確か、あの時は各々好きな短編小説を読んできて、その読書感想文を書くなんて課題が出ていた。おまけに、一人ずつそれを読んで発表しろだなんて事も強要された。


 正直、かったるかった。マンガかケータイ小説、あとファッション雑誌くらいしか読まないあたしにとって、紙の本の活字なんて超苦痛でしかなかった。


 感想なんて、言うなれば人それぞれって奴じゃん。同じもの読んだってそこは個人差ってものがあるんだから、それをムリヤリ書き出して、皆の前で読み上げなきゃいけないって行為自体が全く意味分かんない。


 だけど、やらなきゃ単位落ちるぞなんて卑怯な脅し文句を立てられちゃったらバックレる訳にもいかなくて、結局他の皆も読むだろう超定番の『羅生門』を流し読みして、超テキトーに書いた感想文を広げて自分の順番を待っていた。


 意地の悪い顔をした現国の担当の先生が、クラスで一番頭がいい三崎君が読み上げる感想文をうっとりとした様子で聞き入ってる。うえ、マジで気持ち悪い…。三崎君も分かりやすい短編でいいって言われてたのに、どうして『恩讐の彼方に』なんて重い話を選んだんだろ…。


「はい、とても素晴らしい感想文でしたよ三崎君!先生は感動しました!」


 三崎君の発表が終わった直後、先生がオーバーなくらいの拍手を捧げる。ちょっと照れくさそうにはにかみながら三崎君が席に着くと、彼の後ろの席にいる徳井君が「やるじゃんか」と言いながらその背中をつついていた。


「さて、じゃあ次は…妹尾君に読んでもらおうかな。妹尾君、妹尾 尊君。読んで下さい」


 一瞬、教室の中の空気が揺らいだ気がした。


 クラス中の皆が、きょろきょろと辺りを見回してる。だって、妹尾 尊なんて名前、誰も聞き覚えがなかったんだから…。


 そんな空気の中、教室の隅の方でカタンと椅子が引かれて、誰かが立ち上がる音が聞こえた。


 皆が一斉にそこを振り返る。誰とも口をきかない❝あいつ❞が、感想文を書いた原稿用紙を両手に掲げて立っていた。

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