第37話

「…お義父さん。それ、大窪さんの記事を見てるんでしょ?付き合いはやめて下さいって言ったじゃないですか」

「……」

「正太の受験に、何かしらの影響があるかもしれないんです。孫が可愛いなら、もう少し考えていただけませんか?」

「……」

「大体、信じられないんですよ。いくら借金で首が回らなくなったからって、奥さん巻き込んで死のうとするなんて。それでいて、ちゃっかり自分は助かるんだから、奥さんの保険金目当てだったって噂もあったんですよ?」

「…っ、大窪さんはそんな人では」

「どうだか。案外、その火事だって長年の苦悩に耐えかねた自殺って話が濃厚のようですし。とにかく、もうこれっきりにして下さい」


 そう言い切ると、美代子さんは自分の脇から再び手を伸ばし、今度は新聞をしっかり奪ってから家を出ていった。


 とたんに、しんと家の中が静まり返る。コチコチコチ、と壁にかかった時計の秒針がやけにうるさかった。


 どれほどその音を聞いていた頃だろうか、急に自分の中に耐えきれない何かが沸き上がってきた。


「あ、ああ…うわぁっ!」


 自室の隅に置いていたガラス瓶を手に取り、勢いよく床に叩き付ける。ガラス瓶はあっという間に数多の破片となって、中に貯まっていた五百円玉が飛び出してきた。


 それらをかき集めてポケットにねじ込み、着の身着のままで家を飛び出した。もう一瞬たりとも、この町にいたくない。その思いだけで動いていた。


 自分の両足はとても速い勢いで見知らぬ道をすり抜け、やがて見えてきた駅に併設してあるバスターミナルに飛び込む。


 そして、全ての五百円玉を突き出して、かつて暮らしていたI県行きのバスの当日券を購入し、そのまま乗り込んだのだった。

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