第10話



 正治が暮らしている地方都市は、自分が暮らしていたI県のすぐ隣のK県にある。


 生まれてこの方、旅行以外では一度として地元を離れた事がなかった自分にとって、例えそこが百キロと離れていない隣県であったとしても、全く未知の世界だった。


 何もかもが、全く違うのだ。


 町並みやそこに住む人々はもちろんなのだが、自分の身体をすり抜けていく風の肌触りや空気の匂いでさえも。何の変哲もない水道水の味でさえ、違うと思ってしまう。


「水がまずい?それは親父の身体によくないな、浄水器を付けようか?」


 一度だけ、そうこぼしてみれば、正治は引越し疲れの自分をやたらと気遣い、三日後には最新型の浄水器をあっという間に取り付けた。


 その日の夜。美代子さんの機嫌の悪い声が自分の寝室まで届いてきたのを覚えている。


「あなた、勝手にあんな高いものを買ってこないでちょうだい。今月から、正太を体操教室に通わせるって言っておいたじゃないの。運動神経だって、受験内容に含まれているのよ?マナー教室にだって通わせたいって思ってるのに」


 まだ、この家に来て数日しか経っていないから確証は持てないが、正太は決して運動音痴でもなければ、あいさつ一つできない子でもない。


 毎日保育園で元気いっぱいに過ごしているようだし、帰宅するたびに「じぃじ、ただいま帰りました!」と、自分の顔を見てきちんと言ってくれる。


 それで充分じゃないか、美代子さん。正太はこんなにいい子なのに、どこが不満だというのだ?


 そう思いながら、自分は布団にくるまって延々と続く美代子さんの機嫌の悪い声を聞いていた。

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