第116話

何が起こったのか。いや、何でこんな事になったのか、ちっとも理解できない。これもきっと熱のせいだ。


 抵抗も拒絶もできない。頭の中で宏樹に対する文句の一つすら浮かんでこない。せいぜい「…は?」って感じ。何で?だって、これ…。


 やっぱり、ほんの数秒がとても長く感じられて、少し息苦しくなってくる。うう…と小さく唸ると、そこで宏樹はぱっと私から飛び退いて、両手も離してくれた。


 はあ、はあ…とお互いの息遣いが狭い部屋の中で響く。カッターナイフやカミソリ、血まみれのティッシュで溢れたゴミ箱なんかがなければ、それなりにベタな展開に見えるのに。そうならない事がおかしすぎて、また宏樹から目を逸らす。


 すると、宏樹が言った。


「汚くなんかない。俺はあの頃から、ずっと理香をきれいだと思ってた」

「…っ!?」


 理香、私の名前。また、いきなり呼び捨てにされた。何で?何で宏樹もあいつも、人の許しなしに呼び捨てにしてくんのよ…。


「気安く呼ばないでよ」


 短くそう言うと、宏樹は少しだけ肩をすくめながら「俺の事も、宏樹って呼んでいいから」なんて返してきた。


「これからはそう呼んでほしいし、俺も理香って呼びたい。遼一に負けたくないから」

「…は?何言ってんの?」


 本気で意味が分からない。だからそう聞いたのに、宏樹はそれには答えず、「ちゃんと薬飲めよ」と言い残して、私の部屋から出て行った。


 何だか、余計に熱が上がったような気がする。なのに、あいつの時と同じように、嫌なものとは思えない。それもどうしてなのか、本気で分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る