第112話



「…三十八度、か。ちゃんと薬飲んでるのか?」


 夕方になって、宏樹は本当に家にやってきた。ごていねいにも、りんごジュースとヨーグルトまで買ってきて。


 宏樹の事をすっかり信用し切ってしまっているお母さんは、いとも簡単に宏樹を私の部屋にまで案内した。


 控えめなノックの後に宏樹が私の部屋のドアをゆっくりと開けた時、心の底から消えたいと思った。机の上に置きっぱなしにしているカッターナイフとかカミソリとか、ゴミ箱の中で山盛りになっている血まみれのティッシュの数々なんて、誰にも見られたくなかったから。


 でも、それらがはっきり視界に入っているはずなのに、宏樹は何も言わなかった。まるで見えていないかのような素振りで私に視線を向け、私が寝ているベッドの傍らにやってくる。そして、数分前に測ったばかりの私の熱の具合を聞いて、呆れたように言ったのがさっきの言葉だったりするんだ。


 それがちょっとムッと来たせいか、返した私の言葉はとても子供っぽいものだった。


「薬、嫌いだから」

「飲むもん飲まないと、余計に長引くぞ。メシは食べたんだろ?だったら飲まないと…」

「だるいから、水しか飲んでない」

「お前なぁ…」


 長い溜め息を吐きながら、宏樹はゆっくりとカーペットの上に腰を下ろす。私はそんな宏樹を目だけ動かして見ていた。

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