第95話

一方で、あいつはふうっと長い溜め息をついていた。そしてゆっくりと上半身を後ろに倒して、ベッドに横になる。


「全く、相変わらずの頑固者なんだからな~」


 あいつが言った。


「その様子だと、先に優衣に電話とかして根回ししてるんだろ?」

「さすがに、察しがいいな」

「僕とお前、どれだけ長い付き合いだと思ってるの?…分かったよ、今回はお前の意思を尊重する。ねえ、君」


 呆れるようにそう言ってから、あいつが私に再び視線を向ける。今度は何故か目が逸らせなかった。


「本当に頼むよ」


 あいつが、じっと私を見つめながら、乞うように言ってくる、が。


「宏樹の試合、一つも見逃したくないんだ。せっかくの休日に君には迷惑だと思うけど、ここは頼まれてくれよ。えっと…」


 言葉の途中で急に詰まり、あいつが私の顔をちらちらと窺い見るようになる。そういえば、と私は思い当たる。まだ、私はあいつに自分の名前を名乗っていなかったっけ。


「理香よ。安西理香」


 そう言ってやると、あいつは安心したのか「頼むよ、理香」といきなり呼び捨てでそう言った。


 まだ三回しか会ってなくて、大して親しい訳でもないあいつに呼び捨てにされたのに、ちっとも嫌な気はしなかった。それを不思議に思うあまり、宏樹の方が気分を害していた事に、私もあいつも全く気付けなかった。

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