第94話

「ちょっと、何すんのよ」

「いいからいいから」


 あまりにも軽い口調でそう言いながら、宏樹は私の身体をぐいぐいと押す。そして、あいつのベッドのすぐ脇まで押しやると、ふいに言った。


「俺、今度の大会きっちり出るから。で、その時のビデオ係なんだけど、今回は優衣ちゃんにじゃなくて、この子…安西に頼もうと思ってる」


 私の口からは「ええっ!?」、あいつの口からは「はぁ~?」と言った声が、同時に漏れる。この時のあいつの気持ちがどんなものかは知らないが、私の頭の中では、優衣ちゃんって誰とか、何で私がそんな事をしなきゃならないのとか、そんな疑問だけがぐるぐる回る。


 案の定、私より先にあいつが文句を言い始めた。


「な、何でだよ!いつも優衣に撮ってもらってるんだし、次の大会もそれでいいじゃないか。何で、その子に…」

「極めて単純な事だよ」


 宏樹が答える。


「俺が安西に撮ってもらいたいから。俺の走ってるところ、安西に見てもらいたいから。以上」

「以上って…あんたねえ、さっきから何の権利があって私を」

「権利はないよ。むしろ、今から欲しいと思ってるくらいだから」


 続いて文句を言おうとした私の言葉を遮って、宏樹は訳の分からない事を口走る。この間から、いったいどういうつもりなのだろう。この時の私には、宏樹が何を考えているのかさっぱり分からなかった。

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