第85話

「何、言ってんだよ。安西…」

「だって、そうでしょ」


 少し離れた所にいる私の方へ身体を向けようとする宏樹だったけど、右足がおぼつかないのか、長椅子の背もたれを掴む手を離す事ができないでいる。


 そんな宏樹に短く答えてやると、今度はあいつが口を開いた。


「どういう事?」


 少し低くなった声に、私はあいつと初めて会った時のように、また「…別に」と返してしまっていた。


「あんたには関係ない。話すと長くなるし、私のせいって事には変わりないんだから、それで納得しなさいよ」

「できる訳ないでしょ」


 あいつは松葉杖をゆっくり動かして、今度は私の方に近寄ってきた。


 何故か、私の足は一歩も動かなかった。あいつの動きはひどくゆっくりで、かわそうと思えばいくらでもそうできる。それこそ、初めて会った時みたいにさっさとこの場から離れる事だってできるのに。


 それなのに、あいつがすぐ目の前にやってくるまで、私は呼吸も忘れそうになるくらい、身動き一つ取る事ができなかった。


「どうして?」


 痩せている為か、やたらと大きく見えるあいつの両目が、私を覗き込んできた。目を逸らすだけで、精一杯だった。

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