第56話

ただ、宏樹はこれまで『それ』のターゲットになった誰とも違って、何というか…強くてたくましかった。


 何度持ち物を隠されたりダメにされても、怒りもしなければ悲しみもしない。クスクス笑っている実行犯の子達と静かに目を合わせるだけだ。


 でも、それだけで何かが違っていた。


 だって、宏樹はその子達が怯んで笑わなくなるまで、じっと見つめ続けてるんだもん。怒りも悲しみも含んでいないはずの瞳で、ずっと。


 宏樹のそんな瞳でじっと見つめられて、十分と耐えられた子は一人もいない。皆、クスクス笑うのをやめて、そそくさとそっぽを向いてしまう。そして、一人また一人と、宏樹を『それ』のターゲットにするのもやめていった。


 私はそんな皆の様子を教室の隅で見ながら、ほんの少し前――つまり、絶対的に安全なポジションにいた頃の事を思い出そうとしていた。


 もしあの頃、宏樹のあんな瞳に見つめられていたら、私はどう思っていただろう。皆と同じように怯んで、『それ』をやめていただろうか。もしかしたら、今とは違う結果になっていたんじゃないだろうか…。


 でも、ダメだった。どんなに頑張っても、あの頃の私を宏樹がどういうふうに見つめていたかなんて全然思い出せない。私が『それ』をしていた時、確かに宏樹も教室のどこかにいたはずなのに…。


 思い出せないまま、三日が過ぎた頃には、宏樹は完全に『それ』から解放されていた。誰の力も借りず、たった一人で。

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