第5話

「そんな事言わずに~」


 私が返事を返す間もなく、大倉さんが私の制服の左腕に抱き付いてくる。オフィスにクーラーは掛けられているものの、彼女の体温で左腕の長袖があっという間にじんわり湿ったような気がした。


 それに気付いたのか、大倉さんが私の左腕をじっと見ながら言った。


「そういえば先輩って、年中長袖ですよね。暑くないですか?」

「…別に。これで大丈夫」

「何でですか?」

「半袖嫌いなの」

「え~?でもちょっと汗かいちゃってますから、我慢しないで捲るだけ捲っちゃえばいいですよ」


 そう言うや否や、大倉さんは私の左腕を掴んで、袖のボタンを素早く外す。左腕を引っ込めるなどという抵抗をする間もなく、彼女は長袖を肘までずり下ろした。


 さあ、次は右腕と思っていたかもしれない大倉さんの親切ぶった顔が、その瞬間、一気に固まった。


 今まで、楽しい事にしか興味がない子供のようなあどけない顔しか見た事がなかったので、大倉さんでも目を大きく見開いて、その小さめな口を半開きにする事ができるのだなと刹那的に思った後、私は急いで席を立ってオフィスから離れた。


 後ろの方で「何だ何だ?」と課長のいぶかしむ声が聞こえてきたが、それも無視して廊下に出て、少し歩いた先にある女子トイレの個室に入った。


 はあ、はあと軽く息が切れていた。


 用もないのに便座に座り、長い袖を捲くられた自分の左腕を見つめる。


「…驚くのが、当たり前よね…」


 私の左腕には、赤く腫れ上がった線状の切り傷が無数に付けられているのだから。

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