第101話

「待って、清水君。一体どうしたの?」

「何でもない」

「何でもないって顔してない。僕じゃ相談に乗れない?」


 相談に乗ってほしいと思った。いや、この場合はきっと愚痴だな。今だからそう思うのかもしれないが、俺はこの時、智之に愚痴ってしまいたかったんだろうな。


 だが、智之にあって俺にはないもの。そんな虚無そのものが邪魔をして、俺の思いは口から出てこない。


 俺は返事もせずに玄関を出た。当然、智之は俺の後を追ってきた。


「清水君!」


 階段を降りようとした俺の肩を、智之が力強く抑え込む。その瞬間、俺の中の小さな火種は一気に大きく膨れ上がり、理不尽な怒りとなった。


 何でお前は、そうなんだよ。


 何が失って寂しいものがある、だ。お前には、あんなに楽しそうに毎日を過ごしてくれる父親がいるだろ。


 いくら友達だからって、見せつけられたくないものだってあるんだよ。例えお前にそんな気がなかったとしても、俺はもうたまらないんだよ。


 今は俺に触るな。構うな、ほっとけ!これ以上、俺にそんな眩しいものを見せるな!


 たった数秒の間にこれだけの思いが頭の中を駆け巡った。そして気が付いた時…俺は、智之の身体を思い切り階段の方へと突き飛ばしていた。


 智之は大きく目を見開きはしたものの、悲鳴とかはあげなかった。たが、最初の段差に腰から落ちた後は、まるで糸が切れた操り人形のようにゴロンゴロンと階段の一番下まで転がっていき、そのまま動かなくなった。


 俺はその様子を信じられない思いで見ていた。呼吸も心臓の鼓動も止まってしまったんじゃないかと思ったのに、はっと我に返った俺が最初にした事は、情けなくもその場から逃げ出した事だった。動かない智之を、そのままにして…。

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