第92話

「ここが、僕んち」


 そう言って智之が指差したのは、二階の一番奥にある木製のドアだった。


「遠慮しないで、僕と父さんしかいないから」


 ニコッと笑いながら、智之はズボンのポケットから鍵を取り出して、ドアノブの鍵穴に差し込む。父さんという単語に、俺の身体はぴくりと反応した。


「…清水君?」


 その反応はほんの微々たるものだと自覚していたにもかかわらず、智之はそれを瞬時に察して、俺の方を振り返った。ちょっと前まで笑っていたのに、その時にはもう俺が心配でたまらないといった表情に変わっていた。


「すぐにお風呂沸かすね。さっぱりしたら、きっと気分も落ち着くよ」

「ああ…」


 短い返事をするだけで、精一杯だった。


 玄関のドアをくぐって最初に見えたのは、父親と高校生の息子が二人で暮らすにはちょっと狭すぎやしないかと思える六畳ほどの部屋だった。そんな部屋まで続く廊下の横に、申し訳程度に備わっている洗面台のスペース。そこで、また古めかしい型の洗濯機がやかましい音を立てて動いていた。その洗濯機より奥まった所に、風呂場へに続く引き戸がちらりと見えていた。


「父さん、ただいま」


 部屋に向かって智之が大声を張り上げる。すると、部屋の窓の辺りから父親らしき男がひょっこりと顔出してきた。智之と同じ、優しそうな印象だった。きっと智之が年を取れば、この父親と瓜二つになるだろうという事も簡単に想像できた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る