第30話

「…くそっ!」


 一声あげてから、ユウヤは榎木新一の身体を急いで持ち上げ、左腕を風呂桶から離した。


 やはりと言うべきか、榎木新一の左手首には切り刻んだ傷跡がいくつも見えた。こんな展開は想定していなかった為に、ユウヤは焦りを感じた。


「…何があったんだ、直人!?」


 肩越しに振り返って問いかけるが、直人は俯き加減になってしまって、その表情を見る事ができない。ユウヤは、もう一度「直人!」と叫んだ。


「まさかとは思うが、お前が…」

「僕が来た時には、そうなってたよ」


 わずかに顔を上げ、ユウヤの方をちらりと見てから直人は答える。声が少し震えていた。


「何があったかなんて、僕には分からない。でも、僕はその人を殺す気で来た。だから、それでいいんだ…」

「何がいいんだ!?ふざけるな、人一人の命が消えそうな時に!」

「優しかった兄さんを凶悪犯扱いして殺したんだよ、その人は…。死んでくれるんなら、僕は手間が省けるからいいよ」


 よろよろと立ち上がり、直人はユウヤに背中を向けた。そのまま脱衣場から出ようとするが、ふと何かが耳に届いた。なかなか聞き取れなかったが、ユウヤのものではない別の声がしたのだ。

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