第85話

「ショウもありがとうね」


 背中越しに、チリの声が届いた。僕は何も答えられなかった。何にも言えないまま、健司が病室を出ていっても、ずっとチリに背中を向けたままだった。




 数日後。体力を少し取り戻したチリは、一時退院を許可された。


 チリの両親に預けられていた葵は母親の退院に喜び、病院のロビーに出てきた彼女の腕の中に全力で飛び付いた。


 チリは両腕を広げて娘を抱き締めていたが、一日に何本もの点滴を受けていたその腕はむくみと針の痕でずいぶんと太くなっていた。


「これから、どうするつもりなんだ?」


 娘を抱き締めて、満面の笑顔を見せている母親に対して不粋であるという事は充分に承知していたが、僕はチリの背中に向かってそう言った。入院中、食欲が湧かないせいであまり食事を摂っていなかったチリの背中は一回り小さくなったようだった。


「働くのは、もう無理かな…」


 チリが呟くように言った。

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