第78話

「しょうがないじゃない、できたものは。おかげで、また夢が一つ叶ったわ。これでも私、ケンには感謝してるのよ?」

「これからも先立つものが必要なんだ。葵の為にも、高村の奴にきちんと認知させよう」

「嫌よ。それだけは絶対にお断り」

「あのな、チリ…」

「嫌だって言ってるでしょ!」


 チリが自分の両手をテーブルの上に叩き付けると、端の方に置かれていた透明のグラスがバランスを崩して床に落ちた。途端にがしゃんという甲高い音が響き、グラスと氷の破片がきらめきながら転がっていく。


「私が決めた選択肢なの」


 両手をテーブルに付けたまま、チリが僕を見据えていた。


「後悔なんかしてない。私はあの時、確かにケンが大切だった。大切な人の子供を産むのも、私の夢の一つだったの」

「お前、絶対に何か考え違いしているぞ」


 僕は、それまでガラにもなく心の中で大事にしてきた思い出を、急に消し去ってしまいたくなった。


 金平糖の味がしたあのキスも、好きな人とキスをするのが夢だったと言ってくれた二十歳のチリの笑顔も、それを心の中でずっと大事にしてきたのだと今になって気付いた自分自身すら、跡形もなく消し去りたい衝動に駆られた。

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