第64話

「聞いたのかじゃないよ。学校中で噂になってる。どうしてそんなことしたの?」


噂と聞いて内心ドキリとする。

けれど真尋の口振りからしてその理由は知らないようだと見えて、答えないまま顔を逸らす。

しかし、真尋は移したその視界に回り込んで再び映った。


「あんなことして、これからどうするの?東高だってせっかく受かったのに取り消しになっちゃうよ。どうして殴ったりしたの?」


変わらずのしかめ面で告げられるのは今日何度となく言われた言葉。

それなのになぜか今だけ腹が立つのは、真尋が遠藤と同じことを言うからか。


顔を見れば真尋の傍らに恋敵の姿がチラつくようで、また逆へと視線を向けると同時に思わず鳴る舌打ち。

苛立ちとも悔しさとも言えない思いが浮かんだ。


「…別に理由なんかねぇよ。むしゃくしゃしてたから殴っただけだ」


どうすれば切り抜けられるだろう。

その一心で放った言葉で、真尋の顔がみるみる険しくなっていく。

間違えた、と思った時にはもう遅かった。


「何それ。最近の司は変わったと思ってたのに、元に戻っちゃったの?…ううん、違う。戻ったんじゃないね。それ以下だよ」


放たれる言葉が鋭く胸を突く。

訳を言わないと決めた時点で覚悟していたはずが、いざ告がれると想像以上の威力を持つ。


俺はそれだけ真尋を好きなんだと思い知る。


「…だったら何だよ?それなら放っておけばいいだろ。そんなことをわざわざ言いに来たのかよ」


正直ここから立ち去ってほしかった。

このままでは隠しておきたい事実も胸の内の激情も、全てが露呈してしまうように思えるから。


ならば他に言いようがあるだろうに、ガキな俺にはこんな風にしかできない。

そして、それはやっぱり真尋を怒らせるだけだった。


「そんな言い方はないよ、司。聡志君まで巻き込んで。あれから大変だったんだよ、先生達から事情訊かれて、聡志君まで悪者扱い!」

「巻き込んだ覚えはねぇよ。あいつが勝手に止めに入ったんだろ」

「ひどい…聡志君は司を心配してくれてたのに!おばさんだってそうだよ。さっきリビングで泣いてた。私言ったよね、おばさんを悲しませちゃ駄目だよって!」

「うるせぇな!だから何だってんだよ!」


エスカレートする互いの声を掻き消すかのような声を張り上げる。

怯んだ真尋が口を噤むと同時に訪れた静寂の中、俺は真尋を睨み付けた。


…解っている。

遠藤に迷惑をかけたことも、母さんを悲しませたことも。

真尋が怒るのももっともだ。


でも、それなら俺は?

俺のことは?

真尋の大切なものを傷つけた俺には何をぶつけても構わないと…そう言うのか?



「…司、最低だよ。――…最低!」


憎むべき者を見るような眼差しで放たれる言葉。

胸を抉るようなそれを耳にするなり、俺は立ち上がった。

考えるより早く真尋の腕を掴むと、その痛みで歪む表情。

それを視界に掠めながら強引に引き寄せる。


そして気が付くと、俺は、真尋の唇を自分のそれで塞いでいた。

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