第65話

「――…ッ!」


真尋は一瞬動きを止めたが、すぐに状況を読んだのか離れようとする。


でも俺は離さなかった。

その頬を頭ごと掴み、後ずさる真尋の勢いに乗るようにして、唇を重ねたまま壁際に追い込む。


勝気に紡ぎ出される言葉がまるで俺を罵倒するように思えて、聞きたくなくて。

そして、真尋にキスをしているという事実に煽られて。

離れることなどできなかった。


しかし、次の瞬間不意に唇に鋭い痛みを感じ、俺は身を離すことになる。


覆った掌に僅かに付着する血液。

退路を断たれた真尋が噛みついたのだと解った時にはもう、目の前の瞳には涙が浮かんでいた。


「好きだ」


考えるより早く想いが口をつく。

睨むように俺を見ていた真尋の目が大きく見開かれた。


止め処ない想い。

もう隠せない。


「俺はもう、お前の幼馴染みではいたくない」


放った刹那に揺れる硝子玉のような茶色の瞳。

その様は本当に俺の気持ちになど気付きもしていなかったことを物語っていて、チリリと胸が痛んだ。


ほんの数十秒の、怒涛のような時間。

しかし、不意に真尋が駆けだし、部屋を飛び出した。

そこに訪れた緊張を割るように。


いつもならそこで見送って終わるはずの俺。

だが、今日は違った。


階段を走り降りていく真尋の足音を聞きながらドクドクと心臓が鳴り、湧き立ちそうな血流に衝き動かされてその後を追った。


「真尋!」


名を呼ぶと、玄関へ辿り着いていた真尋が振り返り、驚き露わにして表へ出ていく。

俺も階段を半ば跳ぶかのごとく駆け降りて、閉まりかけの扉をすり抜けた。


その瞬間、家の前で上がる一驚の声。


「うわっ…司!なぁ、今のって真尋ちゃんじゃ…、ちょ、おい!」


その主は航太。

何の用事かは知らないが俺を訪ねてきたのだろう。

突如飛び出していった真尋に出くわしたところに更にそれを追ってきた俺に遭遇し、目を丸めて腕を取ろうとする。


でも、俺はそれを振り切り、俺を呼ぶ航太の声を背後に追い遣りながら、立ち止まることなく真尋を目指した。


「真尋…!真尋、待て!」


こんな風に必死に誰かを呼びながら走ることなど、これまでにあっただろうか。


真尋は恐らく涙を拭いながら駆けていく。

その足は思いのほか速く、サンダルを引っ掛けただけの俺がすぐに追いつくのは容易ではない。


それでも俺は止まらなかった。

止まれなかった。


曝した想いはもう留めようがなく、今この時を逃すわけにはいかないと心臓を何かが激しく叩く。


だが、真尋が交差点に差し掛かり、じきに手が届くかという距離まで来た、その時…



キキキキーッという耳を割くような金属音がしたかと思った刹那、道路に飛び出した真尋の前に姿を現す1台の車。

真尋が咄嗟に足を止める。



「真尋…!!」


…それは、接触する、と思うが早いか俺が声を張り上げた一瞬のこと。


ドンという大きな音と共に、真尋の体はボンネットに弾き上げられた。

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