第57話
どのくらいそうしていたのか、誰かに肩を揺すられて目が覚める。
そこにいたのは菊乃だった。
菊乃は制服姿にエプロンを着けている。
そして、俺と視線が合うと言った。
「司君、そろそろお開きになるみたいですよ」
その言葉通り、彼女の背後のテーブルの上は粗方片付いていて、手伝いをしているのであろう菊乃も手に布巾を持っている。
眠っていたと自覚した俺が頭を掻くと、小さく笑った。
「…真尋は?」
寝起きというのは恐ろしいものだ。
景色の中に真尋がいるのかも判別していないまま、俺は条件反射のように尋ねてしまう。
内心冷や汗を掻いたことに気づいていない様子の菊乃は、縁側のほうを指差した。
「外にいますよ。さっき、ちょっと出てくるって言って、お庭のほうに行ったみたいです」
下世話なツッコミを入れないようにできている菊乃の人間性に感謝しながら、俺も外を見る。
雨はやや弱まったようだが、それでもまだ霧雨のように降っているようだ。
「でも、あれからだいぶ経つんです。司君、ちょっと探してきてもらえますか?」
心配げな菊乃の眼差し。
普通なら過保護とも思えるところだが、この日だから解らなくもない。
むしろその気持ちは俺も同じだ。
立ち上がり、部屋を出る。
昔から何度か来たことのある寺とはいえ勝手はわからないため、取り敢えず屋外に面した木の廊下を歩く。
寺は尚も静か。
物音は確かにしているのに、雨の音まで聞こえてきそうなほどだった。
暫くすると、俺は広い日本庭園の中に浮かぶ「色」を見つけた。
それはとても鮮やかなオレンジ色。
木々や灯篭の中に一輪だけ咲くそれは一瞬で俺を釘付けにして、足を止めさせる。
傘だ、とわかった刹那に見える人影。
そこには真尋の後ろ姿があって、どこか幻想的な雨の情景に思わず息を飲んだ。
近くに置いてあった履物を履き、外へ出る。
すると、すぐに雨が落ちてきて、俺もその景色の一部になる。
真尋は動かない。
だが、緩やかに傘が回る。
それは尚も鮮やかで、けれど儚い。
今にも俺の琴線に触れそうで、たまらず俺は声をかけた。
「風邪ひくぞ」
幻想の中にいた真尋が振り返る。
もしかすると泣いているのかもしれないと思った真尋は、俺を見るなり微笑んだ。
「司こそ」
返されて、傘を持たずに雨に濡れていく俺が言うことではなかったかと気づく。
真尋は微かな笑い声を零しながらこちらへやってくると、そのオレンジの傘を俺に差しかけた。
途端に遮られる雨。
制服のブレザーを片手で払うと、水玉が散った。
何をしていたのかと問おうとして、やめる。
愚問に思えたから。
俺も傘下に加えたことで雨に降れ始める真尋のほうへわずかに柄を押し戻すと、互いの視線が重なった。
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