第51話

「私ね…前からわかってた。司君は私のことを好きで付き合ったんじゃないんだろうなって。でも、一緒にいるうちにきっと好きになってくれるってずっと思ってきた」


その目の強さに比例する、強い声。

解くことのできなかった胸元のスカーフを握り締める手が帯びる震えには、怒りの色が見える。


「だけど…違うのかもしれないって…あの時気づいた。…真尋ちゃん達と一緒にお茶した時。あの時の、あんな司君見たことなかった。私のためにあんな風に怒ってくれたことなんてないよね。私のこと…どう思ってるの?」


竹島の口から真尋の名が出た途端、彼女に聞こえるのではないかと思うほどに鼓動が波打つ。

核心を突く問いは俺を動揺させるには十分で、けれどもう隠せないということだけはわかって、俺は頭を下げた。


「…ごめん。竹島のこと、好きだけど…そういうのじゃない」

「どうして?酷いよ、司君」

「ごめん…」

「理由は?…他に好きな子でもいるの?」


それは、いつか訊かれるかもしれないことは明らかで、それでもいつかその必要がなくなることを願っていた質問。

きつく目を閉じる。

そして俺は心を決めると、頭を上げて伏し目がちに答えた。


「…うん。いる」


言いきるが早いか、頬に感じる鋭い痛み。

竹島に平手打ちされたんだと気づいた時には、床に置いていた鞄が投げつけて寄越された。


「信じられない…。最低!帰って!」


これまで聞いたことのない金切りのような声を上げて、そっぽを向く竹島。

俺は鞄を手にして立ち上がると、再びの謝罪の言葉を残して部屋を後にした。



玄関を出ると、夕方の冷えた風が吹く。

けれどジンジンと痺れる片頬だけはやけに熱くて、手を添えた。


今更ながらに、何てことをしたんだろうと思う。

不純な動機であることはわかっていた。

竹島に対して失礼なことをしているのも。


でも、それが実際にどれだけ彼女を傷つけるのか、本当のところで解ってなどいなかった。

竹島の言う通り、最低だ。


そんな資格なんてないはずなのに、酷く胸が痛む。

けれども次から次へと浮かんでくるのは真尋の姿ばかりで、救いようがない。



…限界だった。

最初から器には耐えきれるだけの余地などなかったんだろう。

他の子を好きになって忘れるなんて、土台無理な話だったんだ。


思い知った途端に起こる強い気持ち。

もう誤魔化しはききそうにない。


誰かを傷つけて初めて腹を括れるなんて卑怯極まりないが、それでも…


それでも、取り繕うのはやめよう、と。

なかったことにするのはやめよう、と。

強く思えばもう止め処なくなって、歩くその一歩ごとに想いが加速していく。


なかったことには、もうできそうになかった。

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