第39話

触れるだけのキス。

どうすればいいのかわからなくて、少し鼻先がぶつかった。


格好悪いことこの上ないが、それでも竹島は微笑んだ。

照れたように、そして嬉しそうに。

「…じゃあね、司君。また明日」


小さく手を振って自宅の玄関に入っていく竹島を見送る。

その姿がドアの向こうに消えると、俺は歩きだした。


まだあまり実感がないのだが、それでも温度や感触の残る唇に思い馳せる。


何だろう…自分のこの落ち着きは。

人は度を越えて驚くべき事態に見舞われた時は逆に妙に冷静になるという話を聞いたことがある気がするが、これはどうも違うようにも思う。


…正直、こんなものかと思った。

今指先で唇に触れてみても、なお。

浮ついた気持ちが起きてこない。

真尋のキスシーンを目撃した時はあんなにも動揺して取り乱したというのに…



真尋のキスと、俺のキス。

俺にとってはその重みが違うのかもしれない。


無論、竹島には言えるはずもないし、許されないであろうことも解っているのだけれど。


この先に忘れられる手立てなど本当にあるのだろうかと思い巡らせながら、暮れる気配のない日の下で帰路についた。





************



上がり下がりを繰り返す気温も、本格的な秋が来てしまえばあっという間に空気の冷たさを増す。

11月を過ぎ、期末テストを終える頃になると、周囲が浮き足立ってくる。

冬休みまでのカウントダウンはどこかお気楽で、クリスマスだ何だと至る所で話題に挙がった。


そんな風に冬を迎えた12月。

夏に行った水族館の隣にアイススケート施設が建った。


スケート教室も開かれる予定というその施設は意外と人気を博し、その波は活動的な航太の好奇心を易々と刺激する。

ものは試しと問答無用で俺や数人の仲間達とで行くことになった。


正直アイススケートに興味はない。

でも、どこの施設だったか忘れたものの幼い頃にスケート場で滑った記憶はあり、それが気心知れた仲間達との遊びなら悪くないと思う。

それどころか実際楽しみでもあった。


そして、その予定を翌日に控えた金曜日。

昼食の後、真面目ぶるなと航太に冷やかされながら教科係の仕事を終えた俺が教室に戻ろうとしていると、後ろから竹島が追ってきた。


「司君!」


鈴が鳴るような声がして、階段の踊り場で足を止める。

竹島は、階下からの視線を遮るようにスカートの後ろ側の裾を押さえながら昇ってきた。


余談だが、以前に下からスカートの中を覗かれたことがあるらしく、予防策としてそうしていると話していた。


しかし、とりあえず今はそんな奴は見当たらない。

自然と階段下に目を向けていると、昇りきるなり竹島は問うた。


「ねぇ、司君。明日空いてる?」

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