第35話

こんな声、俺に向けられたことなどない。

真尋のベクトルが向く先でしか聞くことのできない声。

そう思うと、心の底から何か良からぬものが浮かんでくる気がした。



…邪魔してやろうか。


そんな思いが起こる。


そうすればもう、今の俺の頭には、あの二人の間に割って入ることしかなくなってしまう。

特にしようと考えたこともない「幼馴染みという立場を振りかざす」という行為を、今まさに行おうとしていた。


二人の声が一旦収まったところで深い呼吸をする。

そして、意を決して角から足を踏み出した。


…しかし、巡り合わせというのは無情なもので。

意外さのない偶然を装って真尋の名を呼ぼうとしながら顔を上げた俺が目にしたもの、それは…



これから俺が挑もうとしたその場所で、遠藤とキスをしている真尋の姿だった。



瞳がそれを捉えた瞬間、未だかつて感じたこともないほどの跳躍で心臓が跳ねる。

次の時には、俺はまた塀の向こうへと飛びのいていた。


そして駆け出す。

ほぼ無意識だった。

無意識に、そこから逃げるように、俺は走った。


走りながらも鼓動は煩いくらいに鳴っていて、一瞬見ただけの光景が脳裏に焼き付いている。

振り切るように全速力で走った後、俺は転がるように自宅の玄関に駆け込んだ。


刹那、辺りが静まり返る。

聴覚が感じるのは自分の呼吸と鼓動の音だけで、立っているのが精一杯な俺はよろめくように背後の扉に背中を預けた。



真尋が…、真尋が、キスをした。

遠藤とキスをした。


俺ではない他の奴と…


キスをした。



さっきの、唇を重ねていた二人の姿が蘇ってくる。

振り切るように頭を振って、だが、それでも消えてくれないその場面。


…あのキスは、何度目なんだろう。

不意にそんな疑問が浮かぶ。


過去になく初めてなんだろうか。

だとしたら、真尋のファーストキスである可能性が高い。

あいつの初めてのキスが俺以外の野郎とだなんて考えたくないが、それよりもあのキスがもう何度となくしてきたものであることのほうが耐え難い。


何度もしたんだろうか。

会う度に、視線が合う度に、真尋は遠藤と。

瞼を閉じて、遠藤に全てを委ねるようなあの表情で。


…いや、キスどころか、もしかしたらそれ以上を、あいつ等はもう……




妄想が際限なく膨らんでいく。

力の抜けた俺は、ズルズルとその場に座り込んだ。


苦しくて苦しくて、どうしようもない。

これは何だ。

これが恋か。


真尋への想いと独占欲でどうにかなりそうで、頭を掻きむしる。

行き場のない想いを抱える苦しさなどとは無縁の世界に生きながら、それを抱く奴等をただ外野で眺めていたはずなのに。

今は苦しくてたまらない。


好きだと気付いて間もなくの想いでもこんなに膨らむものなのか。

そう思うと絶望感すら湧いてきた。


そして何度も真尋の名を呼ぶ。



真尋、真尋…、なぁ、真尋。



俺は、どうすればいい――?




++++++++



翌日、俺は再び竹島遥に呼び出され、二度目の告白をされた。


どうしても好きで、付き合ってほしいと言う。

俺に好きな奴がいると聞いても諦めきれないと泣きそうになりながら訴えられた。



俺は、OKという答えを出した。



竹島の強い想いに流された訳ではない。


ただ、忘れたかったんだ。

竹島といればできるかもしれないと思った。


忘れたかったんだ、何もかも。

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