第17話

「面白い人だね、航太君って」

「まあな。日頃はうるさいだけだけど」


互いに玄関のほうを仰ぎながら笑いが零れる。

すると、唇の端に一瞬の痛みを覚えて俺は顔をしかめた。

見ると、俺より先に向けられたらしい視線が真尋から注がれている。

その顔からはもう笑みが消えていた。


「…司、また喧嘩したの?」


前触れもなく事実を言い当てられて、視線を外しさっきと同じように傷を隠す。

これまでの喧嘩の経験を武勇伝のように話したことなどなかったが、真尋も菊乃も知っているだろうことは気付いていた。

たぶん母さんから聞いているんだろうと思う。


別に知られているからといって、どうということはない。

咎められることには慣れているし、罪悪感だってないに等しい。

でも、何だろう、さっきからのこの後ろめたさは。

真尋の目を見られない。


「やめなよ、喧嘩なんて」

「…別に。してないよ」

「してるじゃん、どう見たって。なんで喧嘩するの?」


つい口をついた苦し紛れの大嘘でさえ即時却下され、熟考などしたことのない問いまで添えられ、居心地の悪さを感じた俺は航太を追うように歩きだした。


「真尋には関係ないだろ」

「あるよ。おばさんが悲しむもん」

「は?言ってることおかしいぞ、お前」


思いがけず母さんの感情というものに直結されすぐに理解が及ばず振り返ると、真尋の大きな瞳が向けられていて、その眼差しは俺を責めているように見える。


俺は、何故だか急に焦りを覚えた。

真尋にこんな目を向けられたのは初めてで、幼い頃にした喧嘩の時とは違うそれに、ないに等しかったはずの罪悪感を呼び起こされるような感覚すらする。


…でも、俺は思春期だった。


「なんで真尋に母さんのことまで言われなきゃいけないんだよ」

「だって許せないもん。おばさんに心配かけちゃ駄目だよ!」

「うるせぇな、おばさんおばさんって!真尋の母親なわけでもねぇんだぞ!」


滑り出た暴言を叩き付けた刹那、息を呑むように真尋が言葉を止める。

俺もハッとして真尋を見ると、彼女は大きな目を更に大きく見開いて、俺を見ていた。


しまった、と思う。

でももう遅い。

みるみるうちに怒気を失う真尋の瞳が伏せられていき、ごく小さな声で「そうだね」と返された気がするその言葉も、通り過ぎた車の音に掻き消されてしまう。


「真尋…」

「今日、おばさんの誕生日だよ。覚えてた?おめでとうって、ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」


声を掛けようとするものの遮られる。

その言葉だけを残して、真尋は駆け出した。

再び絶句した俺が引き止めることもできないままに。

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