第57話

栞はゆっくりと首を横に振った。前髪の隙間からちらりと見えたその瞳は、涙ぐんでいた。


「彰には、もう前を向くだけの気力が残ってないの。自分だけ生き残ってしまった事が、彰には許せない事なの。お願いだから、これ以上あいつを苦しめないで。これ以上、皆であいつを責めないでよぉ…」


 栞は克彦から静かに顔を逸らして、自分の足元で幸せそうに缶詰の中身を食べ続けている猫を見た。夢中で食べているその猫が、とても愛しいとさえ思えた。


 栞は猫の姿をぼんやりと見つめながら、あの頃の事を思い出していた。


 この白い猫に『レオ』と名付けた十歳の少女と、十七歳になったばかりの蓮井 彰の事を思い出していた。


 それはまだ、『幸せ』だと言えた頃の事だった…。

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