第2話 田村涼は異世界で物乞いを始めた。

 “繋がり”というパッシブスキルを得て以来、俺は橋の隅で必死に物乞いを行った。

 今までは誰かれ構わず施しをせがんだが、その日からは、俺はA級冒険者たちに限って狙いを定めた。

 彼らはみな遠くの難関ダンジョンへ出向き、高難易度クエストをこなし、莫大な経験値と新たなスキルを獲得して街に戻って来る。

 彼らと“繋がり”が出来れば、あとは自動的に俺も強くなれると考えたのだ。


 そして……、


 「まあいい、この実験を見られたからには、生かしてはおけない――」


 と、若い教会員がそう言い終わる前に、俺はとあるA級冒険者との”繋がり“で得たそのスキルを唱えていた。


 

 「“神の急所刺し”」と……。


 俺は手に持っていた木片を凄まじい早さで男の首元に突き刺し、引き抜く。

 さっきまで勢い良く喋っていた教会員の首元から血飛沫が上がり、そのまま床へと崩れ落ちる。


 “神の急所刺し”は上級騎士だけが扱える上級スキルで、恐らく、この教会員は自分が死んだことさえ気づけなかっただろう。



 「なっ……!?!? 」



 目の前で起こったことがなんなのか、すぐには理解出来なかったようで、水を打ったような沈黙が、教会中に沁み渡る。

 だが、やがて状況を理解した教会員たちが一斉に怒声を挙げ、「殺せ、こいつを、今すぐ殺せ! 」と雄叫びを上げながら俺へと切りかかって来る。


 

 “神の急所刺し”によって、俺は次々と教会員たちの命を奪ってゆく。

 教会員は第一階級の上級職持ちばかリとは言え、”神の急所刺し“のようなA級スキルに対処する術は持っていない。

 怒り狂った教会員が俺に近づくたび、一瞬にして、床に新たな死体が出来上がってゆく。


 そして、人の命をひとつ奪うたびに、彼らの人体実験のモルモットとなったゴーゴへと俺は近づいてゆく。

 


 この教会に入ったときから、ゴーゴの足元には夥しい血の池が出来上がっていることには気づいていた。

 だが、“すでにゴーゴがこと切れている”と気づいたときには、自分でも信じられないほどの怒りが湧いて来た。

 ここにいる全員を、消し炭も残さないほど綺麗にこの世から消してやる、と決心するほどに。


 

 「多少腕は立つようだが……」

 

 と、残りの教会員が三名に絞られたとき、新教会長がそう口を開いた。


 「所詮は物理攻撃だけの脳筋らしいな。だが、俺には物理攻撃を限りなく最小化する魔術がある。その名は“魔術障壁”! 」


白い魔術のベールが新教会長を中心に広がり、魔術の障壁を形成する。

 そして新教会長は続けた。


「これを唱えれば、お前なんて取るに足らない第四階級の物乞いに過ぎない……! 」



 この街で”物乞い“を続けるなかで、俺なりに学んだことがある。

 それは、この世界は確かに激しい差別で溢れているが、そうした態度は「弱い者」に限った話だということだ。

 俺がA級冒険者に狙いを定めて物乞いを行うと、彼らは決まって優しく、親切で、少しでも俺の助けになろうという慈愛に満ち溢れていた。

 本当の強者たちは、決して階級などでは人を差別したりはしなかったのだ。


 「このチートスキルを得たのが二週間前のことだ……」


 と俺は言った。


 「二週間前、とあるS級冒険者が難関クエストに挑戦するためにこの街を出て行った。街を出て行くとき、その冒険者は俺のもとに近づき、まるで古い親友のようににっこりと笑い、俺に金貨を施してくれた」


 なにを話しているのかわからないのか、新教会長は、訝しそうに俺を見据えている。


 「そしてその冒険者は先週、死闘の果てにとある難関ダンジョンを攻略してこの街に戻って来た。S級冒険者だけが覚えられるという、古の超上級魔術を習得して……! 」


 「ま、まさか……」


 と、今更になってなにかを察したのか、新教会長が、一歩後退りする。


 「その冒険者の名は”ヒュデル“。そして、彼が覚えた魔術の名前がこれだ……! 」




 「“黒の雷光”!! 」




 教会の天井部にどす黒い雲が激しい轟とともに渦を巻き、一瞬にして天井全体を覆い尽くした。

 そして……、



 ピシャァァァァ!!!!



 という激しい稲光とともに、その場に生きていた三人の教職者に、凄まじい勢いで黒い稲妻が直撃する。

 夥しい光で辺りが一瞬真っ白に染まり、やがて、もうもうと上がる煙がゆっくりと消え、そこには、新教会長たちが立っていた場所に黒いシミだけが残っている。


 そのシミのすぐそばに立って、俺はこの世から消え去った新教会長にこう告げる。


 「この世に、差別して良い人間なんて、一人もいはしないんだ……」



 ◇◇



 「この川は天国に続いているという言い伝えがあるんだ。ゴーゴもきっと、この川を流れて天国へ行けるはずだ……」


 遺体となったゴーゴを小さな小舟へと乗せ、俺とツルゲーネはこの幼き第四階級の仲間に最後に別れを告げる。

 小舟はゆっくりと川の中央に進み、やがて、その姿を小さくして川下へと消えていった。


 「ゴーゴは良い奴だった。きっと、天国では幸せになれるだろうよ……」


 ツルゲーネがそう言うと、俺は静かにゆっくりと頷いた。


 

 新教会長がいなくなったあと、この街には新しい教会長が派遣されてきた。

 前回の教会長とは違い、その教会長は穏健派で、以前のような激しい迫害はなりを潜めた。

 橋の下での宿泊も認められ、”生活の広場“での炊き出しも昔と同じ量に復活した。

 街中に蔓延った差別意識は完全に消え去ってはいないものの、俺たちの生活は少し前より遥かに平和で、友好的なものへと様変わりしたのだった。


 そして……、変わったのはそれだけではなかった。


 「涼、この人が、前に話したアニーというシスターだ。お前に会いたいと言って、何度もここを尋ねて来てくれた女性だよ」


 そう言ってツルゲーネが紹介してくれたのは、修道服に身を纏い、フードを深く被った青い目の若い女性だった。

 

 彼女は紹介されるなり俺の両手を握り、


 「……あなたが、涼さんですか。ずっと、ずっと探しておりました……! 」


 と、なにか祈るような調子で、そう口にしたのだった。


 

 彼女の熱量に気圧されていると、ツルゲーネがことの成り行きを話してくれた。

 彼女は若い教会関係者で、秘密裏に、前教会長の人体実験について調べを進めていたらしい。

 そしてあの日、ついに実験場であるあの教会を突き止め、調査に向かっていると、教会のなかが激しい光に満ちるのを遠くから目撃したのだと言う。

 そのあと彼女が見たものは、床に出来たいくつもの黒いシミ、それから、教会から出て行く謎の人影……。つまり、俺の姿だった。


 「ずっと、ずっとあの人影が誰なのか探し続けていました……! 」

 「……探してどうするのですか。衛兵に知らせて、投獄するつもりですか? 」

 

 俺がそう問うと、彼女は俺の手をぎゅっと握り締め、思わぬことを口したのだった。


 「いえ、逆です……! 」と。

 「逆、ですか……? 」

 「そうです」と、彼女が頷く。

 「ど、どういうことですか……?? 」

 彼女は一呼吸置いてから、こう続けた。

 

 「……涼さん。この世界はご存じの通り、激しい階級社会です。相変わらず差別に溢れています。……私は、そんなこの世界を変えたいのです。でも、一人では難しい」


 彼女は唾を飲み込み、さらに続ける。


 「ですから、あなたのような人を探し続けていたのです。第四階級でありながら、力を持った人を……! あなたのような人が活躍すれば、きっと、きっとこの社会も、階級など下らないものだと気づくはずです! どうか、……どうか私に力を貸してくれませんか……! 」


 それは思いがけない提案だった。

 あの日のあの出来事を目撃されて、こんなことを口にされるとは想像もしていなかったのだ。


 「……でも、具体的に、俺はなにをしたら良いのですか……? 」

 「冒険者になって下さい」と、アニーと呼ばれたその女性は、きっぱりとした口調で言った。

 「冒険者になって、この世界でS級を目指してください……! 第四階級の方がS級冒険者になれば、この世界はきっと、きっと変わるはずです……! 」


 それは晴天の霹靂と呼ぶに相応しいようなアイデアだった。

 そしてそれは、この世界にすっかり嫌気が差していた俺の胸に、なにか深く深く、鋭利なナイフのように突き刺さったのだった。


 「……面白いですね」と、俺はぽつりと言う。

 「ほ、本当ですか……! 」

 「もしそのアイデアに乗るなら、アニーさん、俺は強ければ強い方が良いですよね? 」

 「それは、もちろん……! 」

 「では」と俺は言った。「なんでも良いので、アニーさんが身に着けているものを、ひとつ俺に譲ってくれませんか」

 「……? では、このヘアピンを……」


 と、アニーは俺の言葉の真意が掴めず、ゆっくりとそのヘアピンを俺に手渡した。


 そのヘアピンを受け取り、眩く照り付ける太陽にそれを翳し、訝しそうに俺を見つめるアニーに俺はこう言ったのだった。


 「ありがとうございます。これで、……これで俺は、今よりももっと強くなれます……! 」

 


 こうして田村涼こと俺は、この異世界で”物乞い“を始めたのだった。

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