話題を変えるにしても流石に突拍子もなかったか。本来の狙い通り心未ちゃんの滲んだ涙は無事に引っ込んだように見えた、が「それが…礼?」と怪訝な表情をされてしまった。そりゃそうだ。


「わかった。天野、気を逸らそうとしてくれたんでしょ。あんた初対面の時もそうだったもんね」


ズ、と早くも薄ら赤くなって見える鼻をすすった彼女はさっき妹が言っていた通りの純粋極まりない考察を披露して、首を横に振らせる。


「多分俺、心未ちゃんが信じてくれてるほど優しくないよ」



ちなみに、善もそうだと思うよ。と心の中で付け足して。



「本当に気になってたから聞いた」



残ったハイボールを飲み干す。それでも彼女は何かを考え込んでいるようだったからナプキン横のタブレットを手に取って、まだある梅干しサワー横目に自分の分だけ追加注文。一応「お酒じゃないの飲む?」と訊いてみた。


「いらない。



8歳になる年の夜に、夜中、父親が出て行ったのがトラウマなの。


もう別に写真も探して見たいとかないし顔なんて覚えてもないけど、『女ができた、子どももいる』って聞こえたのと、

母さんが、『男なんて本当どうしようもない』って悔しそうに私たちに向けて笑った顔だけは忘れられなくて」



子どもも、いる。



彼女がこの短い間に考え込んだ結果、何を思って今も殆ど他人であって自分の大嫌いな男でもある俺にこの話をしてくれたのかは、“他人だからこそ”くらいしか思い付かなかったが——その当時、『男なんて』と彼女らに泣き顔じゃなく笑った顔を見せた二人の母親が、どういう表情をしていたのか。それは、目の前の心未ちゃんを見たら容易に想像できた。


「あのさ、」

「よーし! 答えたしこの話は終わり。どうしたって暗くなるんだよなぁ、あんまり人に話す時ないけど…。どうせならもっとポップに、自己紹介とかでも話せるくらいの話術があったら良かった」


振り切って腕を前に、伸びをした心未ちゃんがお調子者の表情を浮かべた。それが本心か強がりか、見分けられる程俺はこの子のことを知らない。



「あ、丁度いいや。天野、聞いてほしいことあるんだけど」


「俺?」


「俺。あんた、悲しいかな性別は男だけど——善の側の男でもないでしょ。本当に丁度いい他人なの」


言いながら心未ちゃんは、置かれたばかりのタブレットを手に取って「何かお腹空いてきたわ」と操作し始めた。


「正直者」



「あんたが何企んでんだかは知らないけどね。…私、今一人暮らししてて」


「うん?」


「善、私が住んでいる家知らないの」


「え? あ、」


そういえばこの間も言っていた気がする。でも、改めて聞くと思わず聞き返してしまうくらいには違和感ありまくりな話だ。


彼女もそれを云いたかったのか、画面から上げた顔が同意を示している。



「勿論最初の一回くらいは何処に越したのか聞かれた。でも、はぐらかしたそのたった一回だけ。その後は深追いされないの。

逆に怖いよね?」


「怖いね」



「天野も食べなよ」


差し出されるタブレットを一応受け取りつつ、完全に興味はその話の先へと向いていた。


「まーナズナが上にいる時点で善が勘付いてないわけがないとは思うしナズナが善に隠し事できるとも思わないんだけど……その前に、私の家、私が居ない間に家の事を全部やってくれる人がいるのね」


「え…何急に。怖い話?」


「怖い話というか、私にとっちゃ有難い話? それ、文未がやってくれてて」


呆気なくされたネタバラシに「なぁんだぁ」とほっと気の抜けた声が出たのも束の間、


「…ってことになってるんだけど」


と再び怖い話が続いて淡々と話す心未ちゃんを前に背筋が伸びる。



「多分、善がやってる」






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