暫くして、トイレに行こうと座敷を立った。

年長組の芹が別の人に捕まり、まだ飲み干してないグラスに酒を足され始めている。

ナズナもどっか行った。



「本日の主役〜、善さんは?」


「善? そういえば戻ってきてない…いないね」


出入り口付近で掛けられた声に、周囲を見渡すも善の姿は見当たらなかった。


とりあえずトイレ…と月明かりで明るい縁側に出て、後ろ手で戸を閉める。一気に喧騒が遠くなり肌には湿気が侵った。



「——…の?」



「?」


トイレとは逆方向から誰かの話声が聞こえてきて振り返る。


視線の先の柱の陰に、たった今捜されていた月みたいな色の髪が覗いて近寄った。



「ぜん、今——」



「早く解放されたいに決まってる」




「——」



その話題の対象が自分だと、悟ってしまった。


他に思い当たらなかったし、だって、


「あ。心未」


善の隣に座っていた美鮫が私に気付いて真っ先に気まずそうな表情を浮かべたし、

それがなくても普段通り振り返って私を見上げた善が


「心未ちゃんの添い寝の話」


と、あっさり微笑ってネタバレしたから。



突然酒が回ったのかと思う程、頭が熱くなった。


男も夜も苦手で、善と出会った小学校にあがったばかりの頃くらいから眠れない夜は善に添い寝してもらっていた。


中学生の頃に一、二度、高校生になってからは数え切れない程当たり前のように添い寝してもらおうとすると一瞬固まる善のあの表情はそういうことだったのか。


今の今まで、面倒がられていたことに気付かなかったなんて。


そりゃそうだ。

自分の眠い眠くないに関係なく寝る私に付き合わされてきたということ。


どれだけ、億劫だったことか…。



「心未ちゃん?」


「心未。若 今、酒入ってるから。解るよな」


すかさずフォローに入った美鮫の声が、もう遠い。


「解る。善は、酒強い…」



美鮫は深い溜息を吐いていた。記憶がそこで止まっている。



その日を境に、『一人で寝てみたら全然いけた』と善に嘘を吐いた。それから翌日、久々に・・・帰った家の鏡に映った自分の長い髪が、勘違い甚だしい自分を象徴しているように酷く滑稽に思えて。


「何で伸ばしてたんだろ…」


数日後には見ていられなくなり、美容室を予約した。



見ていられなし、変わりたいから。その背伸びの殆どが所謂“いじけ”から成っているのだと気付くのにはまだ幼かったけど、

そう思ってから、眠れない夜毎に美容室の予約確定ボタンを押す寸前まで進んでは止めていた理由くらいは解った。



『心未ちゃんの髪は綺麗ね』



たった、その一言だ。



思い出すだけで涙が滲む。



その一言に私は、『ああそう』程度の、本当に可愛げのない返事しかしなかったかもしれない。


でも、胸の中は色のない気持ちでいっぱいだった。きっと。

だからたった一度の画面タップさえ、すぐにはできなかった。時間がかかった。


そういう、面倒くさい私だから善が私を好きになる事はない。



だって好きだったら『解放されたい』なんて思わないし言わないでしょ?

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