003 戯れ①



 ——オルフェウスの冥路めいじ


 かつて旧時代の王族が安置されていたとされる墓地だが、百年ほど前に膨大な魔力を浴び迷宮と化した遺跡。


 浴びた魔力の質が悪かったのか、はたまたそういう色があったのか。

 この場を生業とする魔物の多くは、不死種アンデッドが多かった。


 とはいえ危険度としてはそこまで高くはなく、資源も少ないことから冒険者ギルドはほとんど関与することがない。また聖騎士パラディン擁する聖導教会も同様で、戦闘訓練としてたまに使われるくらいの用途しかない。



「何かと都合が良かったので、隠れ蓑として選ばせていただきました。まさか、この地で生き延び、身を隠しているとは思いもよらないでしょう」



 ディアリスが昔のことを思い出して笑う。



「して、エル様。お身体の調子はいかがでしょうか?」


「ああ。だいぶ馴染んできたよ」


「そのようですね」



 開けた円形の大部屋の中央で、俺は返り血を拭う。

 周囲にはいくつかのクレーターと、百を越える魔物の死骸。



「肩慣らしにとA級の魔物を用意したのですが、やはりS級も必要でしたね」


「確かに、いささか簡単すぎたぞ。せめて千はいなければ苦戦もしない」


「フフ。それで全盛期の十分の一なのですから恐ろしい限りですわ。しかも定着後まもないお身体で」



 流石ですと我が事のように喜ぶディアリスは、断崖に嗤う絶花のごとき笑みを湛えたまま、



「それでは——これなら多少は遊べるのではないでしょうか?」



 ディアリスのすぐ真横に開かれた漆黒の渦。そこへ手を突っ込んだ彼女は、勢いよくソレを引き抜いた。



「———っ、……!?」


「こ、ここは……!?」


「なん、なんなの、何なのよもう……ッ」



 芋蔓式に五人の女が床に放り捨てられ、困惑と忌避感、絶望感に苛まれながら身を寄せ合った。



聖騎士パラディンか」


「左様で。迷宮の内部をウロウロしていましたので、全員連れてきました」



 まさか、特定されたのか?

 

 俺の疑問にディアリスは肩をすくめた。



「どうやら、あなた様の復活の影響で迷宮に巣食う魔物が強化されていたようです。そこに脅威を感じた聖導教会が先遣隊として彼女たちを」


「なるほど。しかし、影響を与えるほどの魔力はまだ取り戻してはいないぞ」


「フフ。なぜ私が、あなた様の復活をこの迷宮で執り行ったのか、お分かりにならないのですか?」



 言われ、ああと俺は頷いた。



「この迷宮は、俺が産み出したようなものだったな」


「左様でございます。百年前、あなた様の膨大すぎる魔力を浴びて変異したのがこの迷宮。なればこそ、この迷宮はあなた様の子であり、あなた様の魔力そのもの。親の影響を色濃く受けるのは明朗で、薄くなっていたいろが濃くなれば、そこに根付く者たち子らも——」


「さっきから……何の話を、しているの……?!」



 ディアリスの言葉を遮って、聖騎士の一人が叫んだ。



「あなたは……ここで、何をしているの」


「俺がわかるのか?」


「なに寝ぼけてんのよ……ロイ……っ!」



 ロイ?

 女の口から出てきた単語に、俺は首を捻る。

 


「フフフ……あなた様の器の名ですよ」


「器? ああ、そういうことか。残念だったな、女。もうおまえの知っている男ではないぞ」


「どう、いう……!」



 悲痛そうに顔を歪め、女は唇を噛んだ。

 


「器を知っている者ならば、もはや彼ではないことは一目瞭然。何故なら、顔つきが、雰囲気が、そして溢れんばかりに漏れ出す禍々しい魔力が、かの勇者とは別人だと物語っているから」


「おまえが禍々しいとかいうなよ」


「私は普段から抑えていますから」

 


 と、話の途中で俺は体を左に逸らした。

 すぐ真横を剣閃が煌めき、 



「あなたたちは何なの……答えなさい」


「いい太刀筋だ」


「——やっぱり、黙りなさい。聞いていられる余裕なんてないから。ただ、あなたがあたしの敵だってことはわかったから。それ以上……」


「ほう」


「あいつの声で喋らないで……ッ!!」



 纏うローブの色から鑑みるに、A級。

 ローブと同じ燃えるような赤髪。怒りに釣り上がった瞳。俺を前にして一切の気後れを滲ませない気概。


 この状況を、本当の意味では理解していないのだろうが、絶望的であることには気が付いているはず。


 常人ならば、他の聖騎士のように縮こまって事が終わるのを待つだろう。

 だがそれをせず、まだ生を信じている。

 願っている。

 強くあろうとしている。

 俺に、勝てると思っている。



「美しいな」



 ああ、それでこそ人間だ。

 


「お口がだらしなく歪んでいましてよ、エル様」


「おっと」


「フフ。どうやら、彼女は美しく視えるみたいですね」


「ああ。いい退屈しのぎになりそうだ」


「退屈しのぎとは些か問題ありますが。こちらとしては、早くお力を取り戻していただきたいのですよ」


「そのための彼女だろう」



 再度肩を竦めたディアリスが、指を鳴らす。

 瞬間、大きな地響きを鳴らして階層が崩れ、足場がなくなった。



「場所を変えましょう。遊ぶには少し狭いでしょう」


「っ!?」


「体勢を整えろよ。この程度でくたばってくれるな、聖騎士パラディン


「こ、の……ッ」



 こちらを睨め付けながら、埋もれぬよう、落下しないよう空中の岩石を蹴り上げ崩落に耐える。


 お仲間の連中は絶叫を上げながら、大量の魔物の死骸と共に落下していった。ローブの色的にB級程度。少しも興味がそそられないので、そのまま死のうが構わない。



「いえいえ。多少ゲテモノであっても使っていただきますからね」


「無茶言うな」


「考えてもみてください。先遣隊である聖騎士からの連絡が途絶えれば……」


「さらに上の聖騎士が出張ってくるな」


「今のあなた様ではS級に勝てませんよ」


「言ってくれるな」



 しかし、確かにS級の聖騎士は侮れない。

 A級とS級との間には果てしない溝がある。

 S級とは、数こそ少ないが単騎で国と渡り合えるほどの強者だ。


 中でも、聖女認定された聖騎士は魔王の側近に匹敵する。


 今の俺で倒せるかと問われれば、負けないとはいえ勝てるか怪しい。



「確実に負けます」


「負けんわ。意地でも勝つ」


魔道螺マドラも使えない現状で、どう聖騎士の絶剣とやり合うのです?」


「——ごちゃごちゃ、うるさいッ」


「これがあるだろ」



 崩落していく最中、紅の聖騎士が仕掛けてきた。

 後のことなど考えていない捨て身の剣撃。

 それを軽く視線だけで受け止め、手を払う。

 瞬間、



「——ぐぅぁッ!?」



 縦に回転しながら聖騎士が吹き飛び、壁に激突した。そのまま崩れ落ちるように下へ落ちていく。



「フフ。そうでした。エル様の淫我いんが出力は過去、どの魔王とも比べ物にならない威力と再現性を誇るもの」


「いや、これに関してはおまえに負けるよ」


「いえいえ。しかし、そうですね。ソレですと肉体と魔力のしがらみに囚われない。加えて、若い男の肉体。……フフ。恐ろしい♡」



 赤い唇を舌で濡らし、ディアリスが熱のこもった視線を俺に向けてくる。

 この一週間、昼夜問わず相手をしてやっているというのに、まだ足りないらしい。

 かくいう俺も、まだまだ飽きてはいないから何度だって抱いてやる。


 ただ、今は。



「それでは、私のことは気にせず楽しんでください。迷宮外でなにか異常があればお報せしますので。——ああ、それとあまり長引かせないでくださいね。私も、お待ちしておりますから」



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