第2話

 俺たちは食堂のバルコニーに出ていた。ここは眺めがよく、この広い学校を一望することができる。校内で発生するカップルたちにとても人気があるスポットだ。なんでわざわざこんなところでコーヒーブレークしているかというと、向かいで美味しそうにコーヒーを飲んでいるこいつの提案のためであった。


「それで、彼女のどんなところに惚れたんだい?」


そういって笑顔でこちらを見つめてくる。こうして見ると本当こいつは、目の中に入れてもちっとも痛くない容姿だ。はあ、さぞ異性にモテるんだろう。


「んなもん、簡単に教えられるわけねえだろ」


と半分照れ隠しで突っ込むと「つまんないなあ」と言って、彼は頬杖をついて目を細めてニヤニヤと笑った。




 そう、俺には好きな女子がいる。クラスで隣の席のギャル女子高生、加奈さんだ。


透き通った金髪ロングにすらっとした体型、しかし体の曲線の出るところはしっかりと出ている。まるでラノベや漫画から飛び出してきたようなギャルの印象そのままだ。それでいて顔立ちも良く、この学校でミスコンがあれば上位入賞は間違いないだろうというレベルの顔面偏差値。


「物凄い評価だね」


「お前が聞いてきたんだろ」と突っ込むとごめんごめんと言って彼はジェスチャーで先を促す。


 容姿だけじゃない、性格だって凄く良いのだ。誰にでも笑顔とか分け隔てないとか、そんなものはいくらでも自分で作ることができる。コミュニケーションのほとんどは表面的で、その人の性格の良さを表す指針にはならない。重要なのはその表面的なペルソナを剥いだ先にある。どうやったら作られたペルソナを剥げるのか。簡単だ。何か突発的なことで、その人を驚かせてしまえばいい。そこにその人の本性が一瞬垣間見える。ほんの少しのしぐさの変化かもしれない。だが俺にはそれを瞬時に見極めるある種の力があった。


加奈さんの性格の良さを知る上でのペルソナ剥がし突発イベントは一度あった。それは俺が彼女に恋をした瞬間でもあった。


「へえ、興味あるな。ぜひ聞かせておくれよ」


そういってにやっと顔を向けてくる。その含み顔は美顔に悪いぜ。




 俺も幼稚園か小学校低学年くらいのころによく経験していたのだが、クラスメイトが給食中にリバースするという粗相というかテロを起こすあの事件ってあっただろ。低学年くらいの時は感性が優れているのか共感性が高いのか、高確率でもらいゲロをみんな喰らっていたな。俺は共感性も低けりゃ他人にシンパシーもテレパシーも感じなかったからダメージは皆無だったし、何なら隣で吐いていた諸悪の根源の背中をさすってたくらいだ。


そんな汚い思い出話はどうでもいいんだが、そう、そんな事件が珍しくこの高等学校で起こったのだ。


その日はまあ……彼にとっては災難な日だったろう。


 テロの犯人はクラスメイトで俺の親友の鈴木だったのだが、彼は毎日電車通学している。不運なことに、その日彼の目前で人身事故が起こり、B級スプラッター映画なんかは比にならないショッキングな映像をまざまざと目撃していた。


そんなこともあって、彼は昼食を取る気になれなかった。しかし彼の家庭は厳しい家庭だから、食べ物を粗末になんかできない。だから彼は無理をしてでも食べる必要があった。


 結果としては前述の通りだが、ご飯を無理に掻っ込んだせいか彼のリバースは大変きついものだった。海苔がいけなかったね海苔が。あれは胃の中で膨れ上がるんだ。


止まることの知らない大浴場のマーライオンの如き大リバースと部屋中に行きわたるリトマス君も顔面紅潮の酸性臭は局所的人的災害を発生させた。教室中のいたるところで嗚咽が聞こえたり、教室から駆け出す者、不快な顔を露わにしている者など様々だったが、その誰も彼に手を差し伸べる者はいなかった。俺だってそうだ、というより俺は鈴木の目の前にいて顔面からそれを食らってるわけだから、慈悲忍辱を守る修行僧だ。滝行にも引けを取らないぜ。平静を装って不快指数がうなぎ上りの中で顔を拭いて視界を取り戻すのがせいぜいで、冷静に状況判断して手を差し伸べる段階に至ってなどいなかった。許してくれ鈴木。俺はお前とは親友と呼んでもいいくらいには親交がある。お前のゲロを食らったところでそれは揺るがない。……ただ物凄い量だったんだ。目の前が真っ暗になるほどに。


 そんな中優しく手を差し伸べたのは言うまでもない、加奈さんだった。手を差し伸べたというよりは、その手で鈴木の背中をさすっていた。「よしよし吐くもの吐いちゃえ~」と言いながら。それはそれは優しい菩薩のような表情だったね。


俺はようやく視界を取り戻し状況を把握して、止まらないマーライオン鈴木を見かねて掃除ロッカーからバケツを持ってきて、それを抱えるように持たせた。時々勢い余って吐しゃ物が跳ねて俺や加奈さんに跳ねる。俺は性悪なことにこんな状況の中で好奇心を擽られ彼女を見る。それも吐しゃ物が跳ねる瞬間を狙って。その時の彼女の瞬間的表情を読み解くためだ。その時は彼女のことを外面如菩薩内心如夜叉の類と考えていたから、その腹の内を確かめてやろうと思ったのだ。


「で、彼女はどんな顔をしていたんだい?」


温柔敦厚。ああ非の打ち所がなかったよ。彼女の清麗な心に俺はその時初めて恋をした。ゲロと異臭の中、輝くその純粋な瞳に目を奪われたんだ。




 こんなの、好きにならないほうがおかしいくらいだろう。その証拠に、クラス内外からの人気は絶大で、昼休みや放課後には男女問わず色々なやつから告白を受けていたみたいだ。今は彼女に迷惑だろうと指摘した周りの友人たちが密かに加奈ちゃんファンクラブを設立して、統制しているようだ。


 俺と加奈さんの関係はどうなのかって? そんなの特に特筆すべき点はない。強いて言うなら俺は加奈さんの追っかけ程度の人間で、あのゲロの日から俺は斜め前に座る彼女のことを時々見たり、体育の時間に隣のコートで活発に動き回る姿を眺める。放課後は冴えない男子高校生、時には一般市民に変装して尾行するくらいのワンサイドでプラトニックな関係さ。まあ世間的にはこういうのをストーカーって言うのか? でもまあ彼女との境界線はしっかりと認知できているし、迷惑なことは絶対にしたくない。毛程の気配もない俺のステルス尾行を勘付かれたら、ミッションは中断だ。即自宅でデブリーフィングに取りかかる。……なんだ、そのにやついた顔は。想い人に告白できずに陰からしか見ることのできない俺を馬鹿にしてるのか!


「そんなことないさ。その有り余る熱意に感動を覚えただけさ」

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