第四章 この胸のときめきを
第一話 泡沫の夢に愛を抱いて
クリスマスが過ぎ、聖リュンヌも冬休みに入って、気づけば元日の朝。
お雑煮とお節料理で朝ご飯を済ませた私は、自室へ戻り、等身大の鏡と睨み合っていた。
「上着は、このムートンコートでいいよね。あとは厚手のタイツ。あ、やっぱり手袋も持っていったほうがいいかな?」
外は寒いし、なるべく暖かい格好にしたほうがよさそうだ。けれど、暖かいだけではなく、少しくらいは可愛い格好をしたい。
胸中で呟きつつ、ちらりと時計に視線の先を移す。時刻は九時半を回ったところ。普段の私なら、この寒空の下、絶対に外へ出ようなんて思わない時間だった。
「約束の時間まで余裕はあるけど、万が一にも遅れないようにしないと」
意気込んで、手早く身支度を整えると、私は自室をあとにした。
アヴリル先輩との待ち合わせ場所は、近所にある神社の鳥居の前。
自宅マンションを出た私は白い息を吐きながら、神社へと続く参道まで辿り着く。境内は、初詣に来た人々でいっぱいだった。
「ものすごい人の数……。アヴリル先輩と、ちゃんと合流できるかな」
携帯電話があっても不安になってしまうほどの混雑ぶりに、思わず弱気になってしまう。
しかし、そんな心配は杞憂だったようで、鳥居の前に佇むアヴリル先輩の姿をすぐに見つけることができた。
彼女は私に気づくと、小さく手を振ってくれる。その姿を視認した私はぺこりと頭を下げてから、駆け足で彼女の元へ向かった。
「待ち合わせ時間に遅れたわけではないのだから、そんなに急がなくてもいいのに。――明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「お待たせしてしまったことに違いはないので……! あの、明けましておめでとうございます」
アヴリル先輩は、首回りがすっきりとした白いステンカラーコートに、タートルネックのワンピース。そして、足元はショートブーツという出で立ちをしていた。
胸元に飾られたネックレスがいいアクセントになっていて、手には、先月のクリスマスにプレゼントしたブラウンのレザー手袋が嵌められている。
うん、やっぱりあの色を選んで正解だった。アヴリル先輩にはブラウンのアイテムが似合うと常々思っていたが、思った通り、よく似合っている。
そんなふうに一人で満足感に浸っていると、アヴリル先輩が不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの? なんだか、嬉しそうな顔をしているけれど」
「え? あ、いえ、その……こんなにすぐに会えるとは思ってなかったので、驚いてしまって」
私が慌てて言い繕うと、アヴリル先輩は可笑しそうに笑った。
「こちらも予想外だったわ。鳥居の前で待っていたら、捜す間もなく、あなたが目に入ってきたんだから。ひょっとすると、赤い糸が引き合ったのかもしれないわね」
「ア、アヴリル先輩……!」
予期せぬ台詞を受けて、自分の頬に熱が集中していくのがわかる。
時々、アヴリル先輩はこういう気障なことを平然と言い放つから、油断ならない。しかも、それを嫌味なくやってのけてしまうのだから、始末に負えない。
ちらりとアヴリル先輩の顔を盗み見たものの、彼女の表情はいつも通りの笑顔のまま。じっと見つめても、その面持ちからは何を考えているのか、察することもできなかった。
そんな私にアヴリル先輩はくすりと微笑むと、ぽんと肩を叩いてきた。
「いつまでも鳥居の前に突っ立っていても仕方がないわ。まずは、お参りに行くわよ」
「……お参りするなら、私、アヴリル先輩の心が読めるようにしてくださいって、神様にお願いすることにします」
「やめておいたほうがいいわよ。全部わかったら、つまらないでしょう?」
割と切実な願い事をあっさりと笑い飛ばされながら、私はアヴリル先輩に促されるがまま、本殿へと向かうのだった。
***
無事にお参りを終えると、神社の外へ向かって、私たちは歩き出す。すると、アヴリル先輩は私の顔を覗き込み、面白がるように尋ねてきた。
「どう? お参りは済んだけれど、私の心は読めるようになった?」
「そうですね……。アヴリル先輩はお参りのとき、去年を振り返って、充実した一年だったなって思ったような気がします」
「あら、すごい。半分正解よ」
アヴリル先輩はわずかに目を瞠ったかと思うと、すぐに嬉しそうに相好を崩した。
「だけど、よくそれがわかったわね。伊達にこの一年、私と交際をしていたわけではないということかしら」
「そうですね。今年はアヴリル先輩と二人で過ごすことが、とても多かったので」
私が聖リュンヌの一年生として過ごす期間も、残り三ヶ月。
振り返ってみると、私の思い出の中には、いつもアヴリル先輩の姿があった気がする。それは、彼女に片想いをしていた中学時代からは考えられないことである。
「お付き合いをしているとはいえ、学年が同じわけでもないのに、不思議ですよね」
「それだけ、印象に残る思い出を共有してきたということじゃないかしら?」
そこで一旦言葉を切ったアヴリル先輩は、たった今、私が心に思い浮かべたことと同じ言葉を口にした。
「ともあれ、あなたが聖リュンヌの一年生として過ごすのも、残り三ヶ月よ。悔いのないようにしなさい。やり残すことがないようにね」
「はい、頑張ります」
「充実した学園生活を送るため、私にできることがあれば、遠慮なく言いなさい」
そう言って、アヴリル先輩は私の頭にそっと手を載せてきた。そのまま優しく撫でられる。
まるで子供扱いをされているみたいだけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、心地よさすら覚えてしまうのだから、私は本当にこの人のことが好きなんだと思う。
私が大人しくされるがままになっていると、アヴリル先輩はどこか上機嫌にはにかみながら口を開いた。
「今日はせっかくの初詣なのだし、帰る前におみくじでも引きましょうか。行くわよ、弥生」
「あ、は、はい!」
不意にアヴリル先輩から手を取られ、はっと我に返ったように返事をすると、私たちはおみくじやお守りなどを取り扱っている授与所へ方向転換をした。
「私のは……中吉です」
「いい結果ね。大吉はそれ以上を望めないけれど、中吉なら、まだ上があるわ。少し先の未来を見据えるのなら、大吉より勝る結果と言えるじゃない」
「そう、ですね。そうかもしれません」
アヴリル先輩の台詞を受けて、おみくじを読み直したら、ふと恋愛の項が視界に飛び込む。そこには、“良縁。この人より他になし”と記されていた。
私はどきりとして、慌てておみくじを閉じる。確かにその通りかもしれないけれど、この内容をアヴリル先輩本人に見られてしまうのは、なんとなく気恥ずかしい。
そうやって、動揺を悟られないように平静を装う私の隣で、同じくおみくじを引いたアヴリル先輩が不満げに呟いた。
「……まあ、所詮はおみくじだものね」
「もしかして、大吉ですか?」
そんなアヴリル先輩の姿になんとなく思うところがあって、おずおずと問いかけてみると、彼女はこくりと頷いた。
「ええ、その通りよ。学問、健康、願望、失物、争事……。どの項も、特に大きな問題はないわ」
「それなら、どうしてどんなに不満そうなんですか?」
せっかくの大吉なのに、と言葉を続けると、アヴリル先輩は苦虫を噛み潰したような顔をこちらに向けてきた。
「……大吉ではあったのだけど、恋愛の欄が、“恋敵に注意”と書かれていたの」
「は、はあ」
「弥生は私のものだというのに、燕に初花さんといった邪魔者が、また何か横槍を入れてくるつもりなのかしら? それとも、まさか新たな恋敵が?」
ぶつぶつと呟くアヴリル先輩を前に、私は思わず苦笑を浮かべてしまう。
確かに、どこまで本気なのかわからないとはいえ、燕先輩と宝生先輩は、何かにつけて私にアプローチを仕掛けてくる。
これ以上、私みたいな平凡な女子高生のことを好きだと言い出す人は現れないと思うが、アヴリル先輩からしてみれば、気が気でないだろう。立場を逆にして考えてみれば、よくわかる。
「……心配しなくても、私はアヴリル先輩しか見てませんよ。よそ見なんてしません。クリスマスに約束したでしょう?」
「弥生」
「それより、ほら。おみくじを結びに行きましょう!」
言いながら、未だおみくじに視線を落としているアヴリル先輩の背中をぐいぐいと押して、私は歩き出すのだった。
「おみくじを木に結ぶという風習には、縁を結ぶという意味があるそうね」
境内に設けられたおみくじ結び所にそれを結び終える頃には、いつも通りに戻っていたアヴリル先輩が、唐突に口を開く。
「つまり、これで私とあなたの見えざる絆は、さらに確かなものになったと言えるでしょう」
そんな彼女の言葉を聞くともなしに聞きながら、私は思い悩んでいた。
アヴリル先輩は綺麗な人だ。こうして神社にいる今だって、さっきから何人もの男女が彼女を振り返っている。
その上、頭がよくて、優しくて、スポーツも表彰台クラスの完璧超人。変態で痴女な部分さえ除けば、アヴリル先輩は本当に素敵な人だ。
そんな魅力的な彼女は、なぜ私なんかを選んでくれたのだろう。今さらながら、不思議で仕方がない。
「あれ?」
ふと見ると、白無垢の女性が拝殿の奥を歩いていた。
「元日なのに、結婚式なのかな……?」
純白の着物をぼんやりと見ていると、不意にアヴリル先輩が尋ねてくる。
「弥生。あなたも、やっぱりああいうものに憧れるの?」
「……正直なところ、よくわかりません」
私は本音で答えた。
結婚とは女性の夢だと謳われることが多いが、図らずも、私には縁のないイベントになってしまった。
それはもちろん、アヴリル先輩と交際しているからという理由に他ならない。けれど元々、自分の結婚について考えたことなどなかった。
いずれにせよ、私の中で結婚というものの位置は極めて遠く、現実味がない。自分の進路や、その先の未来でさえ、まだ頭の中に思い描けていないのだから。
「それはいけないわね」
私の回答で、アヴリル先輩は渋い顔をする。しかし、彼女はすぐに何か思い立った様子で手を打った。
「ちょっと、ついて来なさい」
そう言って、踵を返し、アヴリル先輩は私の手を掴んだまま、神社をあとにする。
「アヴリル先輩? どこへ行くんですか?」
「来ればわかるわ」
突然の展開に困惑しながらも、私はアヴリル先輩の手を拒絶することなどできなかった。
***
アヴリル先輩が私をつれて来た場所は、なんと、丘の上にある白いチャペルだった。
そういえば、年末に水無月が見せてくれた雑誌の特集記事に、今度、丘の上にチャペルが完成するとの一文が書かれていたような気がする。
そして、なぜかアヴリル先輩はチャペルの管理者と手早く話をつけてくれて、私たちはチャペルの中を見学させてもらえることになったのだった。
「わあ……!」
大きなステンドグラスから、七色の光が差し込んでいた。
雑誌の写真で見たものより、実物のチャペルはさらに綺麗で、神聖な光に満ちている。
「ここは年末にできたばかりで、まだ誰も式を挙げていない、真新しいチャペルよ。あなたを連れて来るなら、こういう場所にしたかったの」
「どうして、そんな情報を知ってたんですか?」
ステンドグラスの前に進み出たアヴリル先輩は、誇らしげに答える。
「私を甘く見ないの。あなたの笑顔を見るための努力を惜しむはずがないでしょう?」
そう言って、アヴリル先輩は私を振り返る。ステンドグラスの光を浴びたその笑顔はとても綺麗で、思わず見惚れてしまった。
そんな私の心境を知ってか知らずか、アヴリル先輩は悠々と言葉を重ねる。
「私自身は特別、何かの宗教に傾倒してはいないけれど、年頃の女の子がウェディングドレスに憧れることを知らないほど、浮世離れしているわけではないわ」
「そ、そうなんですか」
「やっぱり、あなたも白無垢より、こちらのほうが花嫁姿として想像しやすいでしょう?」
「で、でも……」
私は戸惑い、我ながら少しズレた心配をしてしまう。
「うちはともかく、アヴリル先輩のご両親はそれでいいんでしょうか? もしも、神前式じゃないと駄目だと仰られたら……」
そう言ってから気づいたが、これではまるで、私とアヴリル先輩が式を挙げることが前提のようではないか。
自分たちは女の子同士なのに、と内心でとても焦り出した私に、彼女は事もなげに告げる。
「そんなことを気にする人たちではないから平気よ。それでも心配だというのなら、先に二人で式を挙げる、というのはどうかしら?」
「え……」
「万が一、建前として神前式が必要なら、後日改めて、親類を呼んで執り行えばいいじゃない。最終的には、豪華な披露宴をホテルで催すのがいいわね」
「も、もう披露宴の計画まであるんですか……!?」
驚く私に対して、アヴリル先輩は当然とばかりに目を細めると、甘い声で囁いてきた。
「あなたには打掛からドレスまで、目が回るほど着てもらうわ。お家や対面のためではなく、単純に、私があなたの着飾った姿を見てみたいの」
そう告げたアヴリル先輩は、ゆっくりと私の手を引き寄せて、左の薬指にそっと口づけた。
「健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しいときも、富めるときも貧しいときも」
柔らかな唇の感触が、少しだけ擽ったくて。
「望月弥生を愛し、敬い、慰め」
とても、胸が騒ぐ。
「命の限り、心を尽くすと誓います」
「……」
今すぐこの場から逃げ出したいくらいドキドキしているのに、私はアヴリル先輩の手を振り払うことができずにいた。
そうして私は、もう何度思い知ったかわからない事実を、再び再認識することになる。
アヴリル先輩の手を振り払えないのは、彼女のことを愛しているという私の心の表れであり、彼女の言葉を嬉しく思っている証なのだ。
その後、私たちは花嫁の控え室など、チャペル内の至るところを見学させてもらった。
中でも、メイクルームには常時、数着のウェディングドレスが置かれているそうで、純白のウェディングドレスに、私はつい目を奪われてしまった。
試着をしたいのなら話を通してあげる、とアヴリル先輩は言ってくれたけれど、私は頑なに断った。
もしもウェディングドレスを着てしまえば、アヴリル先輩との未来を夢想してしまうから。
だけど、アヴリル先輩と結婚することができたらどんなに幸せだろうと、思考は勝手に働き始める。
きっと、毎日が楽しくて仕方なくて、アヴリル先輩のことをますます好きになってしまうに違いない。そんな妄想を膨らませてしまう辺り、私も相当重症なのだろう。
それにしても、まさか初詣がきっかけで、アヴリル先輩との結婚を意識することになるとは思わなかった。
だけど、よく考えたら、私はクリスマスの日にも、彼女からプロポーズと取れる言葉を貰っていた。もしかすると、アヴリル先輩は本気なのかもしれない。
そんなことを考えている間にも時間は流れていき、私たちはチャペルを出たあとも、散歩と称して、しばらく丘の中腹からオレンジに染まった景色を眺めていたのだった。
©️一ノ瀬友香2024.
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