第3話 女子生徒 疾走事件 ~出題編、参~

 僕が喜びに浸る中、メガネ女子が言ってくる。


「つまり、あの女子生徒───。う~む、いちいちと言うのは面倒くさいな。ここは、としよう」


 容疑者? なんの容疑を掛けられてるんだ? 僕への傷害罪か?


 あの女子生徒は、自身の通行の障害となっていた僕に傷害を加えた───ということになっているのだろうか、このメガネ女子の頭の中では。


 しかし容疑者呼ばわりされるとは、なんとも気の毒なことだ。たしかにあの女子生徒は不用意に走ってきた。不用意だし、不注意だった。しかし不注意だったのは、僕も同じだ。となれば過失は双方にあり、あの女子生徒だけを断罪するのは、どうかとも思う。しかも接触事故は起こっておらず、僕が勝手に転んだだけ───という見方も出来るだろう。だからあの女子生徒のことを容疑者と呼ぶのは、なんだか居た堪れない気がする。


 とはいえ、メガネ女子の言いたいことは分かる。毎回、あの女子生徒、と言うのは手間が掛かる。ここは便宜上、容疑者という呼称を採用するのもイイかもしれない。だから僕も、心の中では容疑者呼ばわりさせてもらうことにしよう。


 だけどまぁ、教訓にはなった。廊下を走るな───というのは、よく聞く注意である。しかし教室内でも走るのは、やめておいた方がイイようだ。今回は避けられたが、出会い頭の接触事故が起こる危険性を孕んでいるのだから。


 いや、待てよ? 別に廊下や教室に限らず、十字路なんかでも出会い頭の事故が起こる可能性はある。となると、どこであっても極力走らない方が良さそうだ。


 とにかく走るな。


 それが、今回のことから得た教訓だろうか。


 そんなことを考えている僕を尻目に、メガネ女子は続ける。


「容疑者は、念のためにトイレに行った。しかしトイレに入る姿を周りの人間に見られたくないがため、二階のトイレを使うことにした───というのが、キミの最終的な推理かね?」


 え? 推理? 別にそんな大層なモノではないんだけど・・・。


 推理というよりは、推測だろうか、推察だろうか。はたまた、予想だろうか。それら四つの言葉について、明確な違いを僕は知らないが、推理と呼んでしまうのは大袈裟な気がする。


 いや、そんなことよりも。


 メガネ女子は僕に問うたあと、僅かに顎を上げた。ほんの僅かではあるが顎を上げ、若干ではあるが目を細めた。そんな彼女の姿は、僕を見下しているように見えた。少なくとも僕には、そう思えた。


 なんだか試されているような気がした。品定めをされているような気がした。良くない評価を下されているような気がした。


 そうしてメガネ女子の発言と態度に気圧された僕は、咄嗟に別の予想も用意する。


「えっと、他にも考えられるよ。忘れ物───」


「フフッ、それは絶対にないよ」


 僕が新たに用意した予想は、即座に否定された。言い切る前───というよりも、言い始めた途端に鼻で笑われた。一刀両断とは、このことだ。


「式典前のホームルームが始まるまでには、あまり時間がない。その短時間で往復できるほど、容疑者の家は近いのだろうか?」


 そこで僕はブレザーの右ポケットからスマホを取り出し、その画面を見る。あと二分ほどでホームルームの開始時刻だ。そして容疑者が教室から出ていったのは、二分ほど前だっただろうか。


 となると、容疑者は僅か四分で忘れ物を取りに帰り、戻ってこないといけないことになる。四分で往復するとなると、校門の向かい辺りに自宅がない限りは、間に合いそうにない。そんな可能性は相当に低いだろう。いや、ほぼない───と言ってイイだろう。


 しかし僕は食い下がる。


「ホームルームへの出席は諦めて、とにかく入学式に間に合えばイイ───という考えかもしれないよ?」


 僕はホームルームにすら、遅刻などしたくはない。今日は入学式だ、高校生活の初日だ。そんな日に、変な目立ち方はしたくない。しかし容疑者は違うのかもしれない。彼女は快活に見えたし、そういうことを気にしないのかもしれない。


「なるほど。しかしだね、ワタシが重要視しているのは、そんなことではないよ。そもそも、なにを取りに帰る必要があるんだね? 今日は入学式だ。そしてそのあとに授業はない。よって、取り立てて必要な物などない筈だ。容疑者は制服を完璧に着こなしていたし、上履きも履いていた。となれば、必要な物は揃っている───と言えるだろう」


 今にもフフンッと言い出しそうな顔。メガネ女子は相変わらず嬉しそうであり、楽しそうでもあるが、それだけではない。


 彼女は顎を上げている。先程よりも、更に顎を上げている。そのことにより、彼女の目は僕の目よりも明らかに高い位置にある。どうやら僕の予想───いや、思いは合っていたようだ。思い違いでは、なかったようだ。


 メガネ女子は僕のことを見下している。高い位置から僕の目を見下ろして、僕のことを見下しているのだ。そして両の口角を上げている。


 そんな表情を浮かべたメガネ女子に対し、僕は少しイラッとしつつ、言い返す。


「じゃあ、誰かに呼び出された───とか?」


「おっ、イイ線まで来たね。そう、容疑者は右手にスマートフォンを持っていた。それはつまり、駆け出す直前までスマートフォンの画面を見ていた───もしくは電話をしていた可能性を示唆している」


 あれ? 褒められたのかな?


 なんだか少し気分が良くなった。つい先程はイラッとしたが、もう今は気分がイイ。僕はなんとも単純な性分のようだ。そんな僕は、褒めてくれたメガネ女子に問う。


「でも、誰に?」


 ホームルームの直前に呼び出す相手とは、一体何者だろうか。まぁ、おそらく呼び出したのは、同じく新入生だろうけど。その呼び出しを断れなかった容疑者。彼女はなぜ断れなかったのだろうか、もうじきホームルームが始まるというのに。ホームルームを遅刻したとしても応えなければいけない呼び出しとは、一体どんなモノなのだろうか。


「おやおや、もう降参かい? ワタシに助けを求めるのかい?」


 ニヤニヤと笑うメガネ女子。そのため僕は、カチンときた。この直前には、少し───いや、ほんの少しだけ良くなっていた僕の気分は、彼女の言葉と表情によって簡単に吹き飛び、またもや不愉快になっている。よって、僕は語気を強める。


「降参? 助け? まるでキミは、すでに真相に辿り着いてるような言い方だね」


「もちろんさ。もう答えは、ここにある」


 そう言い終わる直前に、未だ顎に添えられていた左拳を解き放ち、その人差指で己の側頭部を差したメガネ女子。


 その姿はまるで、名探偵のようだった。



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