第2話 女子生徒 疾走事件 ~出題編、弐~
やがて僕は立ち上がり、メガネ女子と正対した。立ち上がって気づいたのだが、彼女は僕よりも背が高そうだ。若干ではあるが、彼女の目の方が僕のそれよりも高い位置にある。
いや待てよ、それだけではメガネ女子の方が背が高いとは言い切れないな。彼女の顔は、小さめだ。いわゆる小顔だ。幾分ふくよかな体とは異なり、顔は小さい。となると、目から頭頂部までの距離が僕よりも短いかもしれない。だったら僕の身長の方が高いかもしれない。
そんな推測を現実のモノとするために、僕はピンッと
いや、逆か。見栄を張るようにして、胸を張った。そんな立ち姿でメガネ女子と向き合ったのだ。そして、未だ左拳を顎に当てている彼女に言う。
「トイレじゃないの?」
メガネ女子は、訊いてきていた。あの女子生徒が走り去っていった理由を問うていた。だから僕は深く考えることなく、ありふれた答えを用意した。とはいえ自信が持てなかったので、疑問形となってしまった次第である。
そんな自信のなさが悪かったのか、ありふれた答えが悪かったのか、よく考えなかった僕が悪かったのか。ともかくメガネ女子は少し不機嫌そうな顔をする。
「トイレなら、すぐそこにある。しかしあの女子生徒は走り去っていった。
そうだった、あの女子生徒は走り去っていったのだ。彼女がどこに向かったのかを僕は見ていないが、その足音は聞いていた。リズミカルに刻まれていたその音はそれなりに長く続き、次第に小さくなっていった。その事実は、彼女が遠くまで駆けていったことを示している。しかしトイレはすぐ近くにある。あの女子生徒が出てきた一年三組の教室の向かいにある。となると、彼女の行き先はトイレではないことになる。
しかし別の捉え方も出来る。僕はそのことをメガネ女子に伝えようと思った。
「でも、それは───」
「まぁ仮にだね、あの女子生徒はそこにあるトイレを使うことに対して、なんらかの躊躇いがあったとしよう。この教室の目の前にあるトイレへと駆け込むことを、躊躇したとしよう。知り合いからの目を気にしたとしよう。もし、そうであるならば、あの女子生徒は別の階のトイレを使うことにしたと考えられる。実際、彼女は階段へと向かっていったからね。しかし、それも妙な話だ」
うぐっ、言いたいことを先に言われてしまった。
メガネ女子は僕の言葉を遮り、先回りをした。僕に先んじて僕の考えを代弁した。その上、その考えを否定しようとしているようだ。
メガネ女子が言ったとおり、あの女子生徒は階段へと向かっていった筈だ。僕は彼女の足音を聞いていた。そしてその音は左耳に強く響いていた。よって、彼女は階段へと向かっていったと推察できる。
廊下で尻餅をついていた僕の右側には、一年三組の教室。そして左側には男子トイレと女子トイレ、更には廊下に対して直角に交わっている階段があった。あの女子生徒の足音は、そちらの方へと消えていったのだ。
それにしても、メガネ女子はなんだか嬉しそうだ。いや、楽しそうだ。つい先程は少し不機嫌そうに見えたが、今は違う。喋り終えると、またも両の口角を上げたのだから。しかしそれ以上に、メガネの奥に見えている瞳がキラキラと輝いているように見える。
「今日、この校舎内にいる生徒は新入生のみ。となると一階と二階には誰もいない。それらは二年生の教室がある場所だからね」
メガネ女子の言葉に、僕は首を傾げた。彼女がつい先程言ったことと矛盾しているように思ったからだ。
「だったら、なにが妙なのさ? 誰もいないなら、気兼ねなく用を足せるだろ?」
トイレに駆け込むことに対して、なんらかの抵抗を感じていたのなら、誰かに見られることを避けていたのなら、無人である一階や二階のトイレを使うことは、なにもおかしなことではない筈だ。
「ふむ、そうだね。しかしコソコソと隠れてトイレに行くような人物が、あんなに颯爽と走り去るだろうか? 衆目の注目を浴びるような真似をするだろうか? あの女子生徒の走りは、豪快にして、爽快にして、軽快だった。そんな走り方をした上に、キミとぶつかり掛けた。あまりにも目立ち過ぎやしないかな? ───いや、逆だろうか。あの女子生徒は、コソコソと隠れてトイレに行くような人物なのだろうか?」
むむむっ、なるほど・・・。たしかに妙だといえば、妙だ。
僕は、走り去っていった女子生徒のことを一瞥しただけだ。ジックリと見たワケではない。しかしなんとなく、彼女からは快活な印象を受けた。
身長は僕よりも高そうだった。いや、明らかに高かった。勢いよく振られていた足は細すぎず、太すぎず、引き締まっていた。そういった姿や雰囲気から、活発そうな女子に見えた。
そんな女子が、人目を忍んでトイレに行くだろうか。
そうは思ったが、なんだかメガネ女子に言いくるめられているような気がして、どうにも心地が悪い。だから僕は無理矢理にでも反論するために、口を開く。
「それは、我慢の限界───」
「あの女子生徒は大変キレイなフォームで走り去っていった。おそらくは陸上競技の経験者か、走ることを得意としているように思われる。とにかくだね、尿意───もしくは便意を激しく感じている人間が、あのような走り方は出来ないだろう。違うかな?」
またも僕の発言を遮り、先回りしてきたメガネ女子。彼女は持論を述べ終えると、目を瞑ってウンウンと頷いた。ちなみに、まだ左拳は顎に添えられている。お気に入りのポーズなのだろうか。ともかくそんな様子を見るに、メガネ女子は僕の反論を押さえ込んで満足しているようだ。
しかしまぁ、メガネ女子の言ったことは、たしかにそうだ。トイレに行きたくなればなる程、走ることは困難になる。そんな経験は僕にもある。しかし、あの女子生徒は間違いなく走っていた。ということは、我慢の限界を迎えていたワケではなさそうだ。
それにしても、なんなんだ、このコは。持論を全て言い切らないと満足しないのかな。それに尿意とか、便意とか、そういう言葉を平然と口にしてるけど、恥ずかしくないのかな。
そんなことを思いながらも、メガネ女子の言い分に対し、言い返す。
「いや、ちょっと待ってよ。念のためにトイレに行っておこう───って考えたのなら、まだ走れる状態だったんじゃないの?」
「念のため、か。それはあり得るな」
おっ、僕の考えを受け入れてくれたぞ!
メガネ女子が僕の意見を肯定してくれたのは、これが初めてではないだろうか。だから僕は、それなりに───いや、相当に喜んだ。
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