不老不死

「では、後半は国内のニュースです。人工生体型子宮装置やベーシックインカムなどの導入により、我が国の出生率と出生数はともに緩やかに上昇してきました。しかし、それを上回る死者数により人口の減少が続き、不死技術の完成が望まれています。現在、不死技術はどこまできているのでしょうか。本日は不老不死クラゲの研究から、それを人間に応用することに詳しいクララさんと、社会問題に詳しい酒井さんのお二人をスタジオにお招きしています。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」(複数人の声を検出しました)


「ではまずクララさんにお聞きしますが、不老不死技術とはどういったものでしょうか?」


「はい。誤解のないように言っておきたいのですが、不老不死と言っても亡くなるときは普通に亡くなります。超長寿命化技術といった方が適切なんです」


「ああ、そうなんですか。不老不死というと体が真っ二つになってもくっついたり、再生したりして何をやっても死なないようなイメージがあるんですが、そういうわけではないんですね」


「はい。そういうのとは違います。ここでいう不老不死は簡単に言えば、遺伝子の劣化を防いで、ものすごく長生きできるようになるということです。生物の染色体の端っこにテロメアという領域があるんですが、細胞分裂をするたびにこれが短くなって、ある程度短くなると細胞分裂が止まって老化が始まると考えられています。ベニクラゲというクラゲはこのテロメアを修復することができるので、原理的には無限に細胞分裂することができます。すでにこれは人間に適用できるところまできています」


「そうなんですか。しかし、無限に細胞分裂というと、ガン細胞のようになってしまう不安がありますが」


「はい。そうなる前に老化した異常な細胞を排除する仕組みがあります。ハダカデバネズミというネズミでは、老化した細胞がガン細胞になる前に酸化して排除する仕組みがあり、これも人間に適用できるところまできています。実は、不死技術自体はかなり昔に完成してチンパンジーでの実験も行われています」


「なるほど。では、不死技術はまもなく人間にも適用されるということですね」


「いえ、まだまだ先になると思います」


「まだまだ先というのは、いつくらい?」


「100年先か、あるいは200年、もしかするともっと先かも知れません」


「え? 完成しているのに、まだそんな先になるんですか? それはなぜでしょうか?」


「実は神経細胞や心臓の細胞は、終末分化細胞といって細胞分裂が止まった状態にあり、寿命はせいぜい150年程度と言われています。そのため、他の細胞の寿命が1000年とか、2000年くらい延びたとしても、脳や心臓は150年で寿命になります。そこで、さきほどの老化細胞を排除する仕組みとリプログラミング再生医療とを組み合わせて、数十年かけて老化した脳や心臓の細胞を少しずつ順番に壊して、新しい細胞に変えていくということが必要になります。技術自体はずっと昔に完成していて、チンパンジーの実験では、寿命の30年を大きく越えて100年ほど生きている個体もいます。ですが、この技術の安全性を確認するのに、まだ100年ほどかかると見積もられています」


「ああ、なるほど。数百年も生きて安全かどうかは、実際にそれだけの時間がたたないと分からないということなんですね」


「はい、そういうことです。ですが、その間、ただ待つだけじゃなくて、社会的な議論を進めておくべきだと思っています。不死技術が人間に適用されるとなると、1000年も2000年も、あるいはそれ以上生きることになりますが、それが良いことなのか悪いことなのか、誰にも分かりません。そんな人は今までいなかったわけですから。長生きすることは無条件で良いこととはいえず、例えば、個人の問題としては、治療の難しい難病になったり、介護が必要になったりした場合に、その問題と数百年、数千年も付き合う可能性がありますし、結婚相手や再婚相手が実は、自分の直系の先祖や子孫だったなんていう可能性も出てきます。社会全体としては、テレビに出る芸能人が1000年前とほとんど変わらず、マンネリ化してしまうといった問題もあります」


「それは、困りますね。この点について、社会問題に詳しい酒井さんに聞いてみたいと思います。酒井さんは、どう思われますか?」


「これは、はっきりいって大問題だと思いますよ」


「大問題、といいますと?」


「私は、この不老不死技術は、完成しているなら今すぐにでも人間に適用すべきだと思っています。何かあったら責任が取れないからといって安全性を理由に人間への適用を遅らせている政府は、逆説的にまったくの無責任だと思います。ベーシックインカムや人工生体型子宮装置で、子どもを産めよ殖やせよと言ってますけれど、これ、120年後にはほぼ全員死んでるんですよ? 今生きている8000万人の人間が120年後には全員死ぬのが分かっていて、それでも不死技術を適用しないっていうのは、大量殺人と同じですよね。それが言い過ぎだっていうなら、少なくとも未必の故意ですよね?」


「確かに、その通りですね」


「どうしてこういうことが起きるかって言うと、まだ生まれていない方々への配慮が足りていないからなんです。以前、霊能者の方に聞いたんですが、実は魂全体の8割から9割くらいは不死技術があれば生まれてきてもいいけど、不死技術がないなら生まれてきたくないっておっしゃっているそうなんです。まだ生まれていない魂状態の方々は、この世に存在すらしていない究極の弱者であるにもかかわらず、まったくと言っていいほど配慮されていないんです。政府は彼らの声を丁寧に拾い上げて、これから生まれてくるすべての人に不死技術を適用すべきです」


「なるほど。おっしゃることはもっともだと思います。ですが、さきほどクララさんがおっしゃっていたように、不死となることで苦痛が長引いたり、テレビがマンネリして退屈な思いをされる方々への配慮が必要になってくると思いますが、それについてはどうでしょうか?」


「確かに、苦痛が長引くのは問題だと思いますよ。でもそれは、より一層配慮することや医療の発達で解決できる問題だと思います。TV番組に関しては、申し訳ないのですが、すでにつまらないのでそもそも見ていません」


「ちょっと、CM入れて!」


CMの間、音声認識システムは自動停止しています。字幕は表示されません。


音声認識オン、字幕を表示します。


「えー、先ほど出演者から不適切な発言がございました。好きでTV番組をご覧になってくださっている方々、またスポンサー企業のみなさまには不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」


「申し訳ございませんでした」


「先ほどの発言は、番組としての見解ではなく、一出演者のTV番組に対する偏見と配慮不足に基づく発言でしたが、番組を代表してお詫び申し上げます。CM中に審議した結果、これ以上、お話を聞くことは難しいと判断し、途中ではございますが、本日の放送はここで終了いたします。来週は、安全なロシアンルーレット開発の最前線についてお話を伺いたいと思います。では、さようなら」


番組は終了しました。字幕は表示されません。了

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配慮された世界 的矢幹弘 @dogu-kun

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