左脳の敗北

「遅れちゃってごめん!」


 謝罪の言葉を口にしながら、教室内に足を踏み入れる。

 廊下から見た通り、室内灯は点いていなかった。窓から差し込む暗い赤光だけが室内を僅かに照らしている。


「ううん、大丈夫だよ。ちゃんと連絡くれてたしね」


 薄暗い教室内で待っていたのは、月見里さん。一年間の友達付き合いを経て、つい昨日恋人になったばかりの、僕の彼女だ。


 少し低めの身長で小柄。整った顔はキレイというよりはカワイイと言った方がいいだろう。セミロングの黒髪が室内の薄暗さに溶け込み、少しばかりの非日常感を演出している。そんな中で、前髪に揺れる赤いヘアピンがこれは現実であると、しっかりと取り纏めてくれているようだった。

 指定の制服を真面目に着こなしている彼女は椅子に座って、こちらに軽く手を振っている。


「むしろ、私の方こそごめんね。元々、待ち合わせの時間が遅くなっちゃったのは私のせいだしさ」


 月見里さんは椅子から腰を上げながら謝罪の言葉を口にする。


 待ち合わせの時間が遅くなってしまった、という話は、元を辿れば昨日に遡る。

 僕が告白して、月見里さんが受け入れてくれた、昨日。


 付き合い始めたんだから、待ち合わせとかして一緒に帰ろうよ。僕がそう提案して、月見里さんもOKした。しかし、昨日は月見里さんの方に外せない用事があり、早く帰らなければならず、一緒に帰るのは今日になった。だが、


「いやぁ、まさか急に生徒会の仕事が入っちゃうとはねぇ」


「それは、流石に仕方ないよ」


 月見里さんは生徒会に所属している。しかも副会長だ。

 今日の昼休みに突然、生徒会の火急の仕事が入ったらしく、待ち合わせの時間を遅らせて欲しいという連絡が僕に来た。

 僕はそれを承諾し、それならばと待ち合わせまでの時間、部活に顔を出していたのだが、その部活で先輩におつかいを言い渡され、校外まで出かける羽目になってしまった。そして、待ち合わせに遅れてしまったのだった。

 

「まあ、なんにせよこうして集まれた訳だし、おーるおっけーだね」月見里さんが片目を瞑る。


「そうだね。おーるおっけーだ」僕も真似してウィンクしてみるが、うまくいかない。


「ふふっ、両目とも瞑っちゃってるよ」


「いやぁ、ウィンクとかしたことないし……」


 一般男子高校生のウィンクとかこの世で最も価値がない。キモイだけだ。練習なんぞしているわけがない。こちとら鏡を見るだけで陰鬱な気持ちになる顔面なんじゃい。じゃあなんでやったし。

 あっ、月見里さんのウィンクはマジ国宝級です。一生僕にウィンクして欲しいし、生涯伴侶として隣にいて欲しすぎ。はぁ~~~愛なんだが?? バイバイなんてもう言わせないんだが???


 ……ウィンクしてもしなくても僕ってキモイな。


「若狭くん、かわいい。不器用だね~」


「え、えー」


 からかうような月見里さんの言葉に、少しばかり照れる。正直けっこう嬉しかったりはするが、やはりかわいいとか言われるのはむず痒い。

 少しでも気恥ずかしさを払拭するため、僕は月見里さんに言葉を返す。


「僕なんかより、月見里さんの方がよっぽどかわいいよ」


 その言葉が意外だったのか、彼女は呆気に取られたような顔をする。


「え、ほ、ほんと?」


「本当だよ。ちょーかわいい」


「え、えへへ、うれしい、な」


「その顔もめちゃかわすぎるでよ」


「でよ?」


 おっといけない。かわいすぎてちょっと変な噛み方してしまった。僕の呂律を破壊するほどに月見里さんの照れた顔は魅力的で、効果は抜群。余裕で四倍弱点。タスキ持ってなかったら瀕死だったかもしれない。


「……若狭くんってけっこうシャイ気味でしょ? そんなストレートにかわいいって言ってもらえるとは思ってなくて、ちょっとビックリしちゃった」


 彼女は手をパタパタと振り、顔を冷ますような動きをしている。そして、それもまたかわいい。


「流石に、付き合う前にあんまりかわいいとか軽々しく言えないよ。でも、今は付き合ってるわけだし、いいかなって」


「そ、そうだね。私たち、付き合ってる、もんね」


「うん……付き合ってる、ね」


「……」


「……」


 沈黙。気まずいようなそうじゃないような、判断のつかない沈黙が僕らの間に出現する。

 何か話した方がいいのか。それとも、沈黙が気にならない間柄的なアレの方がいいのか、誰かと付き合うなんて初めての経験で、まったく勝手が分からない。世の中のカップルたちは一体どうしているのか、今すぐ教えて欲しい。


「あのさっ」沈黙を切り裂いて、月見里さんが声を上げる。かなり奮起したことが感じられる声量。教室内にこだまするようだった。

 そう、こだまするような声量。放課後の、誰もいない教室に。


 僕たちは今、二人きり。


 そのことを改めて実感して、心臓が早鐘を打つ。背中の汗腺が一気に開く。


「あのさ……付き合ってる、わけだし……それに……」


「そ、それに?」


「誰も……いないから」


「――!」



「わ、若狭、くん……」



 月見里さんが一歩、僕の方へと歩みを進める。近づく。


 それから、固く、固く――目を閉じた。


「や、やまなしさんっ!?」


「……」


 裏返った声色も気にせず、月見里さんは目を閉じている。僕の、すぐ目の前で、何かを待つかのように。


 何かを待つってなんだ。何を待っているんだ彼女は。いやバカか僕は、バカだろ僕は、そんなの決まっているじゃないか。どう考えたってアレだろ。アレしかない。緊張しすぎで現実逃避するな。


 正直、失神しそうなほど緊張している。だって、ほら、全力疾走した後みたいな心臓の速さだ。急激に目の前の現実感が薄れ、景色が回るように意識がぼやけるのを感じる。だが、


 月見里さんにここまでさせて、ここで日和るなんて、いくらなんでもダサすぎる。


「っ」


 僕は意を決して月見里さんの肩に手を置いた。 彼女が一瞬、身じろぎするのが分かった。


 顔を近づける。徐々に、徐々に、少しずつ。彼女の顔が近くなっていく。視界が彼女で満たされていく。なんだかいい匂いもして、少し頭がクラクラした。


 唇が、あとほんの数センチのところにある。


 目を閉じた。視界が黒に染まるが、ここまで近づけば、もう問題はない。ほんの一押し、顔を近づけただけで、僕らの距離は、ゼロになる。


 そして、僕は最後の一押しを――



「!?」


「えっ!?」



 することができなかった。


 突然鳴り響いた軽快なメロディーに、思わず僕と月見里さんの顔が離れる。


「な、なにっ?」


 その音は、僕のズボンのポケットから鳴り響いていた。聞き慣れた音楽だ。


 僕の、スマホの着信音だった。


 なんつーベタな……


「あ、あははっ、ビックリ……しちゃった」


「……心臓止まるかと思ったよ。まったく、誰なんだ、こんなタイミングで」


 本当になんてタイミングなんだ。せめてあと数秒遅く鳴ってくれればよかったものを。

 自分が消音モードにしていなかったことを全力で棚に上げつつ、僕は半ば反射的にスマホを取り出した。僕も月見里さんもあれだけの勇気を出したというのに、それを邪魔した相手を確認せずにはいられなかった。


 手にした画面を睨みつけるように確認する。そこに表示されている名前は、


「って、タコ先輩か」


 僕の所属している部活、映画研究会の会長であり、中学の時からの縁である、タコ先輩だった。


 まったく、こんな時に。たぶん、さっきのおつかいをきちんとこなしたのかっていう確認の連絡だとは思うけど、あまりにもタイミングが最悪すぎる。


「タコ……先輩?」僕の独り言に月見里さんが反応する。


「ああ、うん、タコ先輩。月見里さんにも、何回か話したことあるよね? 部活の先輩だよ」


 まあ、部活って言っても、所属しているのは僕とタコ先輩二人だけで、しかも認可もされてない、部活とも呼べない部活なんだけどさ。

 そのことは月見里さんも知っているはずだった。


「……うん、話してくれたことある、けど」


「だよねぇ。あのタコ先輩だよ。困った人だよねぇ。たぶんだけど、さっき頼んだおつかいちゃんとやったのかって確認だと思うから、後で連絡すれば――「そっか」


 僕の言葉を遮りながら、月見里さんが一言呟く。声量は決して大きくない、零れたような声。だったが、


「……え」


「若狭くん、ここに来る前に、皆方みなかた先輩のところに行ってたんだね」


 何か、妙に重量感のある声。そんな感じがした。背中に突然巨石がのしかかった様な重圧に、さっきまでとは違う種類の汗が伝う。

 薄暗い室内が一層暗くなったのは、日が落ちたからか、僕の錯覚か、それとも――


「映画研究会で、皆方先輩と、二人きりだったんだよね? 二人で仲良く映画観てたんだ?」


 あの女と。


 冷えた刃物のような低い声色に、思わず体が震えた。


 月見里さんのいつもの朗らかな表情は鳴りを潜め、そこには能面のような無感情が張り付いている。


「ど、どうしたの月見里さん……」


「若狭くんはさ、私の彼氏だよね?」


「え、あ、ああ。うん……も、もちろん」


「だったらさ、他の女なんて、見ないでよ」


「……へ」


「私以外っ! 見ないでよっ!!」


 叫びと共に、ガタン! と机が鳴る。月見里さんが振り上げた腕がぶつかった音だ。手の甲辺りをぶつけたから、だいぶ痛そうだな。なんて半ば現実逃避気味な考えが頭に浮かび、すぐに掻き消える。

 どう考えてもそんな場合じゃない。早く彼女を落ち着かせないと! 何か誤解がある気がするし!


「お、落ち着いて月見里さん! 一旦深呼吸しよう!」


「落ち着けないよ! だって大好きな人のことだもんっ!」


「はいっ、息を吸って! それから吐いて!! すぅぅぅぅはぁぁぁぁすぅぅぅぅはぁぁぁぁ」


「ちゃんと聞いてよっ!!」


「はいっ! ごめんなさい!!」


 月見里さんの怒号に全力で平謝る僕。たぶん僕の方が彼女よりも取り乱している。なんでこの状況で深呼吸してんだよバカじゃねえの。


「ねえ若狭くん、私若狭くんのこと大好きなの。本当だよ? 大好きで大好きで仕方がないの。だからこそ、大好きだからこそ、不安なの、苦しくなっちゃうの」


 だが、深呼吸できたおかげでほんの少しだけ落ち着くことができた。一旦状況を整理してみよう。もちろん、月見里さんの言葉に耳を傾けるのも忘れない。かわいい彼女の言葉は一言一句たりとも聞き逃したくないからね。


「――!――!!」


 月見里さんは、僕がタコ先輩と部活動やっているのが不安で堪らないらしい。他の女のことを見るな、とも言っていた。恐らく、見るな、というのは仲良くするな、という意味だろう。そうだよね? マジで視界にすら入れるなって意味じゃないよね? 視力失ったら月見里さんの顔見れなくなるから困るんだけど。


 思考を巡らせながら、月見里さんの言葉を咀嚼していく。初めての脳の使い方でなかなかに疲れるが、こんなものでめげるわけにもいかない。


 そんな、頑張っている僕の脳みそへの気遣いは一切無いらしく、月見里さんの口から放たれる言葉の勢いは衰えない。それどころか益々ヒートアップして、その勢いを増していく。


「私ずっと苦しかった! 若狭くんが皆方先輩とのお話する度に! 楽しそうにあの人の話をする若狭くんを見るのが苦しかった! 振り回されて迷惑って顔しながら、一緒にいるの楽しいんだろうなって分かったから! ああ、私みたいな子じゃ若狭くんに振り向いてもらえないんだって! 若狭くんは皆方先輩みたいな人が好きなんだって! それなのに、やっと若狭くんが私の恋人になってくれたのに、今日もあの人と楽しく映画見てたなんて! 連絡来て、そんなに嬉しそうな顔して! ずるいよ! タコ先輩って、すっごく仲良い感じの呼び方も! 全部ずるい!!」


「……月見里さん」


 ずるい。と連呼する月見里さん。


 自身の想いの丈を、その感情を叫んでいる。全身を振り絞るように、僕を求めている。


 彼女は、ありったけの愛を、僕にぶつけていた。


 そして、それを受けて僕は、


 正直、ちょっと困ったなぁ。


 と、そう思っていた。


 いや別に、彼女の想いが重すぎるとか、迷惑とかではなくてね?

 むしろ、超愛されてるじゃんって実感できてめちゃくちゃ嬉しいんだけど。


「……はあ、はあ」


 あの剣幕で叫んで、肩で息をする月見里さん。そんな彼女を前に僕は考える。


 月見里さんのことは本気で大切だし、大好きだ。

 あの文量には少し驚いたけど、別にその程度で僕の愛ってやつは変わりはしない。それだけは自信をもって言える。

 ヤンデレ? ヤンデレっていうのかこういうの? 定義がよくわからないけど、とにかく、ヤンデレくらい余裕で上等だ。ドンと来いだ。


 だったら、何が問題なのかと言うと、それはタコ先輩のことだった。


 タコ先輩も、僕にとっては大切な人なのだ。


 もちろん、色恋の話じゃない。そんなものは、とっくのとうに、終わった。

 友情だとか、親愛だとか、そういう類の感情で、僕はタコ先輩のことが大切だ。それに、タコ先輩は僕にとって大恩人でもある。あの人はたぶん否定するんだろうけど、僕にとっては紛れもなく、僕を救ってくれた人なんだ。

 彼女がいてくれなかったら、今の僕はありえない。月見里さんと付き合うことだってできなかっただろう。

 そう確信していることが、今この場では大問題だ。


 もちろん、普通に考えたら、恋人である月見里さんを何よりも優先するべきなんだろう。部活もやめて、関りだって絶つべきなのかもしれない。


 それでも、タコ先輩と関わることすらできなくなるのは、僕にとっては重篤な問題だ。


 あの一人ぼっちの寂しがりやを、本当の意味で一人になんてしたくないんだ。


「あのさ、月見里さん」


「う、うん! なぁに? 若狭くん!」


 覚悟を決めた。

 たっぷりと息を吸って、時間をかけて吐く。またしても深呼吸だ。酸素を取り込み、内側で燻っていた動揺を鎮める。

 それから、月見里さんの瞳を真っすぐに見つめる。彼女もまた、僕の目をじっと見つめ、言葉の続き待ってくれている。


 僕は月見里さんのことが一番大切で、大好きだよ。だけど、タコ先輩は僕の恩人で、大切な先輩なんだ。だから、せめて部活動だけは続けさせて欲しい。

 

 そう、ハッキリ言おう。大丈夫、きっと分かってくれる。僕の想いを、月見里さんはきっと分かってくれる。


 そう確信して、僕は口を開く――



「僕はタコ先輩が一番大好きで、大切で、ええと、だから……そう! 部活を続けさせて欲しいんだ!!!」


「………………………………」


 やっべぇ。


 頭こんがらがって言いたかったことがごっちゃごちゃになっちゃった。


 僕ってホントバカ。

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